今日も今日とて雪かきだった。
毎日雪かきばかりしているような気持ちになる。
今日降った雪は重い雪で、その上量もかなり降ったのでいつもの2倍ほど時間がかかったし疲労感は何倍にも膨れあがった。
それでも午後には晴れたので幸運だったと思う。
もう雪を置いておく場所が殆どないから、少しでもお日様が溶かしてくれることを祈っている。
近所の婆ちゃんには申し訳ないが、僕の宿敵の名もなきミニチュアダックスの姿を見かけたので小道の方は除雪しなかった。ごめん。

午後の晴れのお陰か今日の母は活動的だった。
薬が効いているようで、動悸が起こる気配のようなものが少なくなっているようだ。
そのかわりに、活動をしていないと血行が良くないのか今日は料理と洗濯をして家の片付けまでしてくれた。
久しぶりに食べた母の食事はとても美味しかった。
自分で作らなくても料理が食べられる事の有難さを痛感した。
あまり無理はしないで欲しいが、少しずつでも動くことによって体力をつけて欲しいとも思っている。


家の片付けをしていた母が
「ジーパンが沢山出てきた」
と言った。母のものではなく僕のものだ。
僕は
「捨てる、捨てる」
と返した。僕は体が大きいので体型に合わない大きな服を着ている。それも高価なものではなく安い間に合せのものが多い。ニートである現在、履いていく場所もないので、とどのつまり愛着がない。
最近ネットで

現代の若者の間でジーパンはダサい

という記事を読んだからでは決してない。
とはいえ着心地の良い服ばかり残ってしまうとダボダボ服ばかりになるので後で何本か選んで取っておきたいと思う。
どうせオジサンだし。ジーパン、ダサくないし。

この感覚がすでに自分がナウでヤングではないという証明なのだろうが。


こういう時代を感じる事があると、時が流れているのだと思う。
流行り、廃り、新しい、古い。
子供の頃はそう言うものに対して敏感ですぐに取り入れることができていたような気がする。
今となっては「何それ?」と感じる事の方が多い。
変化を好まなくなってきたと言うのもある。
だから最近の母の世話に関しても疲れる事ばかりなのだと思う。
今までやっていなかった事、知らなかった事。
それらに対してエネルギーが必要なのだ。

若人達には無条件にエネルギーが溢れている。
何をやるにも一生懸命になれるし、変化していく社会にも順応できる。
では年を経た人間はどうやってエネルギーを得ればいいのだろうか。
僕は

未来に希望を見出せるか

という点にあると思う。
何か先に待っているものがあれば努力できるし、不安もない。
先の見えないゴールを目指すこと程辛くはないはずだ。
母はそこに暗いビジョンが見えてしまって、活力が得られないでいたのではないだろうか。
一度目で治らなかったアブレーション。
2度目に希望が持てないのは仕方のない事と思う。
それでも今日いろいろ動いてくれたのは、少しは期待を持ってくれているのではないかと信じている。


そこまで考えて、今度は

僕の希望とはなんだろうか

と疑問に思った。
一番喫緊なのは母の心不全が良い方に向かう事であるが、その先は?

くらげバンチ
というサイトで
「母を捨てる」
という漫画を読んだ。無料で読めるので、いつまで読めるか分からないが、まだ見れるようであればオススメしたい。

この作品を読んで、僕も今後の生き方を考えるべきだと感じた。
なんか締めが宣伝サイトっぽくなってしまって、甚だ心外ではあるが今日はこの辺で終わりにしたいと思う。