no day but today 切迫流産早産日記

no day but today 切迫流産早産日記

2人目不妊と流産を経て、待望の第二子 大二郎を妊娠。19週から切迫流産で自宅安静。23週より入院。当面の目標は24週

第一子、玉三郎26週から切迫入院。
28週からウテメリン、マグセントMAXで入院。
37週0日無事出産。

毎日必死で命を紡いで頑張ります。諦めない。

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今朝病棟の廊下から朝日を見ながら、聴きたいなぁと出てきたのはミスチルのIt's a beautiful worldでした。

大事な人を亡くした2001年頃よく聴いていたアルバムです。(not foundカップリング「さよなら2001年」も名曲!)

自分が生きているのがつらくて悲しくてたまらない真っ暗闇の時期に するりするりとストレートに心に染み渡る。

「みんな誰かの必要な人なんだよ。」

つらくて苦しいこともあるけれど、いつかまた、生きていて良かったと思える日がくるんだよ。

幸せはいつもそばにある。

今は素直にそう思えます。

世の中悪いことばっかじゃないし、悪い人ばかりでもないんだ。

自分には得られないと思っていた幸せだって手にはいることだってあるんだ。

今回の入院でいかに普段の生活がまわりの人の存在、支えがあって成り立っているかがよく分かりました。

感謝の気持ちを忘れないこと。
嬉しいことはみんなで共有して分け与えられるんです。

そして、結局じぶんの人生は自分次第であることを痛感しました。

自分のまわりの「チョットいいこと、嬉しくなること」に気がつけるかどうかは自分次第なんだよね。

少し大袈裟だけど、一度しかない一生を今後どう生きていきたいのかを今一度自問自答できるいい機会になりました。

体調の変化と向き合い、泣いたり笑ったり一喜一憂しながら過ごした入院生活。

お正月からのトイレ、食事以外ベッド上安静生活も終わりました。

終りがきたんだ、ついに。



新しい生活が始まろうとしています。

7日に玉三郎と大二郎が初対面しました。玉三郎は大二郎の手を握り、頭をかつて自分がそうされてきたように
いいこ いいこ しました。

家族バラバラで過ごした3ヶ月半がようやく繋がりました。

昨夜病院から帰たがらなかった玉三郎がはじめて私に抱きついて甘え大泣きしました。帰りたくない。

おかあさんとずっと一緒にいたかったのだと。

はじめて感情をおもむろに出して伝えてくれました。ずっと我慢してたんだろうな…

エレベーターの扉が閉まった途端、大きな泣き声が聞こえました。

今日退院してからしっかりたっぷり3ヶ月半の埋め合わせをしていこうと思います。




8日に無事に産まれてくれた大二郎。

低血糖と低体温をクリアし、授乳を開始。少しずつ母乳も出始めました。

産後4日目にして黄疸がでてきたので、今日私は退院予定ですが一緒に帰宅できるといいな。光線治療をする場合、彼だけ入院になるかもです。

病棟の廊下の窓から綺麗な朝日が見えました。

相棒の点滴台を下げたまま部屋のドアを開けて

いつかここを赤ちゃんを抱いて歩いて出て行くんだ

と毎日眺めていた廊下です。

ここの光景を一生忘れちゃいけない気がする。

これから私と私の家族を支えてくれたみんなに少しずつでも恩返ししていきます。

ありがとうございました。