「志を立てて以って万物の根源となす」。
吉田松陰の名言である。
志をすっ飛ばして、「将来何になりたいの?」と子どもに問い続けると、子供は夢を追うほどに自分の心の軸と行動がずれてしまい、不幸になる可能性さえある。
筆者自身も、生徒におもわず懇談で「将来何になりたいの?」と聞いてしまう時がある。
だが、心という言葉の語源は
「コロコロ」動くもの、だそうだ。
そんな状態で「夢がどう」「将来がどう」と言われても、その答えは表面だけの言葉にしかならないだろう。
志とは、
「コロコロ」動く心に一本の筋を【刺し】て、軸として留め置くものだという。
例えば「僕は、自分の人生をだれかを笑顔にすることに使う」と決めることだって、立派な志である。
志が決まれば、「じゃあどうやって笑顔にしよう」と、方法を考えるようになる
志がない人が「弁護士になる」という目標を設定すると、達成するための手段を選ばなくなる。
目の前にやってくる出会いや経験も、効率的に目標達成できるかできないかだけで取捨選択してしまう。
志がある人にとっては、目標達成までに出会う全ての出来事、人との出会いが、自分を磨く砥石である。
目標までの道のりでであった人たちのことも、笑顔にするように努めるはずである。
ゆえに、目標までの道のりも、目標達成をした後も、自分の志を果たし続ける「幸せな生き方」ができるというわけなのだ。
「医者になる」という目標だけで志がない人は、
目標に手が届かなかったときに、自分の人生に意味を見出せなくなってしまうこともある。
たとえ医者になれたとしても、志が無いようでは、患者の幸せより自分の儲けを優先するようになったりして、
患者さんから感謝されるようないい医者にはなれず、「幸せな医者」とは程遠い人生を歩むことになるだろう。
志があれば、人生で出会う、どんな出来事も、自分を磨く砥石になる。
志がなければ、人生で出会う出来事を、いるものといらないもの。
志を持つきっかけになり得るのは、やはり、
『人との出逢い』
『本との出逢い』
『旅(未知)との出逢い』
であろう。
筆者は『人との出逢い』により、自分の生きる方向性すなわち志が大きく定まった。
『本との出逢い』により、語彙力が増え、言葉によりその志を明確化することができた。
『未知との出逢い』により、遠く先のワクワクを見つめられるようになった。
コロコロ動く生徒たちの心に一本の筋を刺せる、そんなきっかけを与える人物でありたい。
出典:『書斎の鍵』
喜多川泰 氏 著