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《 モーツァルト/ダ・ポンテ : 『フィガロの結婚』K492 》(英オワゾリール)
アルノルト・エストマン指揮ドロットニングホルム宮廷劇場管弦楽団、ほか

あけましておめでとう

今年もやっぱり年明けは『フィガロの結婚』から。これまでにクライバー、ロスバウト、カラヤン、ベームのレコードを取り上げたので、ちょっと趣向を変えてオリジナル楽器のLPを聴く。

初出のときは例によって石丸電気の輸入盤コーナーに行きLPではなくCDを入手した。カラヤン&ウィーンフィルの「ブルックナー七番」や「仮面舞踏会」、グリュミオー&クリーンの「モーツァルトvnソナタ全集」などCDとLPが並行発売されたものはすべて、CDを優先して買っていたものだから、このフィガロも随分後になって漸くLPを手に入れることとなった。

このレコードを聴くと何もかもが懐かしく思い出される。あの頃の僕は不可思議なドグマにおかされていて

●モダン楽器のモーツァルト → 過去の遺物である、オリジナル楽器こそ真実なり
●LP → 過去の遺物である、CDこそ真実なり

とまあ、音盤的には進歩史観だか唯物史観だか知らないが、今とは異なる「音盤史観」(笑)に支配されており「若気の至り」が響いて来るのだ。ああ、恥ずかしい。

といっても、このエストマンの『フィガロ』はいま聴いても瑞々しく、「CD vs LP」「モダン楽器 vs 古楽器」といった不毛な対立を超えて、モーツァルトの真実を僕の心に伝えてくる。