遠い思い出 その7 銭湯の小便小僧


JR児島駅の西側に児島公園が有り、母のお見舞い後に立ち寄り散策をしてみました。

広い芝生広場には遊具が有り子供達が遊んでいました。
賑やかな声が聞こえてきます。

賑やかな公園の片隅にひっそりと可愛い小僧さんの像、小便小僧の像が有りました。
像の隣には紆余曲折の末にこの公園に移設された経緯や小便小僧の由来について記載されたプレートが有りました。
小便小僧はベルギーのブリュッセルが発祥の地です。
戦禍がブリュッセルに及び、敵が街に爆弾を仕掛け導火線に火を付けた際におしっこで導火線の火を消し街の危機を救った伝説により、勇気と平和のシンボルとして1619年に初めて製作され世界に広がったとの事です。
名前はジュリアン坊やです。
児島公園の像は60年以上前に、はるばる欧州から取り寄せた像で顔は天使の様なヨーロッパの男の子の顔付きとなっています。

ひっそりと佇む小便小僧のジュリアン坊やを見ていて、母ちゃんの昔話しを思い出しました。

今から25年程前に母ちゃんが友達と共に四国徳島の祖谷のかずら橋に観光に行った際の話しでした。
かずら橋を一通り見た後に、かずら橋から少し離れ車で山道を進んだ断崖絶壁にある小便小僧の像を見に行ったらしいです。
その小さな像は私が小さい時の仕草にそっくりで私の小さい時の事を思い出したらしいです。
(祖谷の小便小僧は、日本人の坊やがモデルとなっているそうです)
母ちゃんはかずら橋の話しより、小便小僧の像を見た話しばかりしていました。
そしてはるか昔を思い出し、笑いながら「お前の小便小僧には母ちゃん困ったんじゃ。今でも覚えとるで」と言い遠い昔話をし始めました。

私が3才の頃の昔話です。
当時、家に風呂が無く近くの銭湯に通っていました。
父ちゃんが私を連れて行った時には男風呂、母ちゃんが連れて行った時には女風呂に入っていました。
ほとんど母ちゃんに連れて行ってもらっていました。

洗い場には鏡とお湯/水の蛇口と風呂椅子が並び、高い天井に木桶のカコーン、カコーンと響く音をおぼろげながら覚えています。
向かって左手には子供の浅い浴槽、右には大人用の浴槽が有り、子供用の浴槽の壁には陶器の鯉が頭を出し鯉の口から勢いよくお湯が出ていました。
子供心に何故お湯が出るのか不思議で何時ものぞき込んでいたらしいです。

ある日の事です。
母ちゃんは私を子供用の浴槽に入れて少し離れた蛇口で下を向き頭を洗っている時でした。
急に誰かが「あぁ!おしっこするで!」と叫び、母ちゃんは咄嗟にその声の方を顔を上げ見ました。
そこには浴槽の縁に立ち、洗い場を向いて片手を腰の近くに当て、お腹を少し突き出して正におしっこをする小便小僧の様な小さな私が見えたとの事でした。
近くの人が慌てて浴槽の縁から洗い場に私を降ろしたらしいです。
勢いよく降ろされ拍子に尻もちをついてしまいました。それに驚き一泊置いて少しおしっこが出てしまったらしいです。
それを見てますます悲しくなったのか「うわ〜〜ん」と天井を向いて大声で泣き出したそうです。

母ちゃんは慌てて駆けつけて周りの人に謝りながら、私を抱き起こしてくれたらしいです。
幸いにも排水口のすぐそばで、おしっこはすぐに洗い流せたらしいですが、その間私は母ちゃんにしがみついて、ずっと泣いていたとの事です。

銭湯から帰る時にも泣き疲れたのか母ちゃんにしがみついて顔を埋めていたらしいです。
母ちゃんは抱きかかえてくれていたらしいです。

遥か60年近く前の話しです。
私は覚えていません。
ただ、大きくなるまで銭湯に通っていたので銭湯の事は良く覚えています。
母ちゃんは祖谷の小便小僧を見るまでは忘れていたのでしょう。
以来、時々思い出しては、「お前の小便小僧には母ちゃん困ったんじゃから」と可笑しそうに繰り返し話しました。
母ちゃんは寝たきりで、もう喋れなくなりその話しは再び聞く事は出来ない様です。
可笑しくもあり、寂しくもあり、悲しくもありです。

そんな遠い昔の事を思い出しながら児島公園のジュリアン坊やに別れを告げました。


児島公園のジュリアン坊やのおしっこは、凍結防止の為に止められていました。
後ろ姿がなんだが寂しそうでした。

夏には青空の下、勢いよくおしっこをしているジュリアン坊やがいるかも知れません。
日本の小便小僧もまた会いに来るよ。
さようなら。ジュリアン坊や。

以上です。