こんな美しい夕空が見える海に行ってきました😊
4回目の投与も無事終了し、おかげ様で体調もすこぶる良好でしたので
一泊の小旅行へ🚘
元気に動けることは
決して当たり前ではなく
こんな時間が持てることは
なんと幸せなこと🥰
遡ってみれば
1年前にはもう
私の原発巣(右の背中の腰部)のホクロは
ほんの少しの衝撃でも
すぐ傷付いて
出血することもありました。
そしてどんどん治りが悪くなっていきました。
ホクロ自体がいつから出来始めたのか
正直よく分かりません。
何せなかなか
見ない場所で
存在を知ったのも、他の人からの指摘でした。
受診した方がいいと思い始めて
昨年の3月に近くの皮膚科に行きました。
だけどその時は
老人性のホクロ(おじいちゃんの顔とかにできるシミみたいなもの)だと思う、悪性のものではないだろう
と言われ^^
念のため3か月後くらいにまた見せてくださいと。
翌月(4月)
性交渉の際に原発巣の部分がかなり傷付いてしまい、なかなか治りませんでした。
その頃から常に
傷絆創膏を貼るようになりました。
趣味の日帰り温泉巡りを控えるようになりました。
3年ほど前から、腰痛、というか
右の脚🦵の下の方まで痺れるようになっていて
「滑り症」と言われていて
職場の上司から、腰が痛そうだから針治療に行ったら?と勧められて、
6月くらいから近所の鍼灸整骨院に通い始めました。
相変わらず原発巣には絆創膏を貼っていましたが
ある時、たまたま貼らずに整骨院に行ったとき
先生から
「これは、診てもらった方がいいと思う」と言われて
「3月に一度診てもらった」という話をしたら
「それなら安心だけど、整骨院の仕事をしていると全身を見るから、別の病気を見つけたりすることもあるんですよ」
と言われました。
3月から3か月を過ぎて、7月になると
もう原発巣の部分が少し盛り上がってきて
背中を付けて仰向けに寝るのが厳しくなってきました。痛みが出てきたからです。
7月下旬に
最初に受診した皮膚科に行ったときには
「これは手術して切除しないといけないと思うから、すぐに紹介状書きます」
と言われました…
今思えば
3月の時点で、もう1箇所別の病院で診てもらっておけばよかったのかも知れません。
今となっては後の祭りですが…
少なくともステージが下がってたのでは?って思ったりもします。
8月上旬に大学病院に行き
悪性黒色腫だと即答されました。
触ると痛いのにかなり触られて
とても苦痛でした。
手術の日程がなかなか決まらず
腫瘍はその間加速度的に大きくなりました。
自分でも驚きの速さ‼️
どこかで、ガン細胞は空気に触れると大きくなると聞いたけど
本当にそんな感じがしました。
出血、滲出液も増えてくる、
ただでさえ真夏の猛暑で、汗で滲みるし💦
本当に不快な日々でした。
手術が9月下旬に決まりましたが
その間1ヶ月以上、
原発巣がどんどん酷くなるので
とても不安でした。
何回か病院に電話して相談しましたが
「バイ菌が入らないように毎日きれいに洗ってください」と言われるだけ。
炎症を起こしていないか、熱を持っていないかチェックしてくださいと言われるので
鏡で見る感じなのですが
見るのが…ガンの形を見るのが…
とってもとっても嫌でした。
なんと醜い、なんと恐ろしい形…
体の表面に見ないガンもありますが
私のようなガンは見えます。
日々の増殖が…
その時思いました。
単なる怪我、擦り傷とかなら
時間が経てば自然には治る。
だけど、ガンは決して自然には治らない。
むしろ放置してたら悪くなる一方。
手術までの1か月半で
原発巣の厚さが10ミリになってしまい
結果ステージがCに…(4ミリ以上がC)
表面積的には5×4センチくらいだったかな…
リンパ節にも転移してました…
生まれて初めての全身麻酔の手術はとっても怖かったけど
術後の経過はとても良く^ ^
一番嬉しかったことは
背中を付けて仰向けで寝られるようになったこと👌😊
そしてなんと
手術直後から
長年悩まされてきた腰痛と右足の痺れが
全く無くなったのです‼️
これに関しては今だに謎、というか
ガンと腰痛の因果関係。
あるのかないのか…
でもこれはほんとにラッキーなことでした🤞
手術の傷は
右の腰から横に15センチ以上、背骨を超えて左側まで伸びてますが
その横の長さのラグビーボール🏉の形に切って
皮膚の移植になるかもと言われていたけど
なんとか引っ張って繋げられました、
と、麻酔から醒めてすぐに聞かさて
安堵したのを今でも覚えています。
皮膚の引き攣れる感じもかなり気にならなくなりました。
今後の人生の中でもしかしたら今が一番
元気なんじゃないか?
そんなことを常に思います。
痛いところも特になく
仕事もできてる。
化学療法の副作用も気にならない。
快適な生活が送れています。
怖いくらい…