AKB48が成功したことで、プロデューサー秋元康氏がかつてかかわっていた、おニャン子クラブを再評価しようという動きがあるらしい。
工藤静香、渡辺満里奈、生稲晃子、国生さゆり、渡辺美奈代、城之内早苗らを輩出したじゃないかということだ。
確かに活動期間わずか2年半ほどの間に、学芸会にも劣るような素人軍団から、トップ歌手になった工藤、司会やマルチタレントで活躍する渡辺満、女優やレポーターとして息が長い生稲、女優・バラエティタレントとして生き残った国生、歌手としてアルバムの評価も高くモデルとしても活躍した渡辺美、演歌歌手として今も活動を続ける城之内と、バラエティに富んだ人材を送りだした事実はある。
しかし、こういうプロ志向の人は一部であり、おニャン子の仕掛け人たちは、わざと音痴なクラブ活動感覚の人をフロントのボーカルに抜擢したりして、ずっと素人らしさを演出してきた。
工藤、渡辺満、生稲は後期のメンバーであり、在籍期間も短く、おニャン子色があまりつかなかったのが幸いした。52番までいるおニャン子の中でも、30番台後半以降は美少女ぞろいで、初期の頃のごくふつうのどこにでもいるような感じの子の集団という感じではなくなっている。
歌が最初から上手かった工藤と城之内はともかく、おそらくろくにレッスンもせず、歌が下手な状態でソロデビューした両渡辺、生稲、国生らは、その後苦労したのではないかと思う。両渡辺や生稲は上手くなったからよかったけど、歌が様になった頃には人気が下降線をたどっていた。
また、解散後、フジテレビが路頭に迷った彼女らに、何らかの受け皿を用意してサポートをしたとも思えない。素人を集めてアイドルの偽物をつくれば面白いと思っただけで、まさか社会現象になるとは思わず、解散した後はおニャン子のことはなかったことにしてくれのような態度だったのではないか。
おニャン子はそこまでプロデューサー陣が優れていたとは思えない。おニャン子=音痴、おニャン子=演技できない、おニャン子=踊りが下手は、世間一般に定説化しており、成功した人は本人たちがそのイメージ、重いハンデを打破すべく努力したのである。そうとしか、考えられない。
AKB48も売れ方がバブル化してきて、今はいいが、2015年頃までには弾けそうな雰囲気が漂ってきた。
こちらは、音痴と踊りが下手というイメージは、少なくとも持たれていないだけ、ずっとマシである。
仕掛け人たちはどういう落としどころを考えているのか、或いは何も考えていないのか、興味深い。