もう昨日になっちゃいましたが娘ちゃんの9回目のお耳の誕生日でした。
娘ちゃんは生まれつきの重度難聴なのでお腹の中にいた時も生まれてからも音のない世界で過ごしてきて、生後4ヶ月で補聴器をつけて初めて音に気が付きました。
その時のことは今でも鮮明に覚えています。
話しかけられて目をパチクリさせていた娘ちゃん。
太鼓の音にビクッとした娘ちゃん。
声かけする私の声が小さいと、療育施設の今は亡き理事長に手厳しく怒られたこともハッキリ思い出します(笑)
お腹の中にいたとき、殆ど胎動を感じなかったのでちゃんと育っているのかいつも不安でしたが、音が聞こえていなかったからなんだと生まれてから分かりました。
あっ!いま蹴った!みたいなのは全くありませんでしたが、生まれてみたらめっちゃ元気で足の蹴りも激しかったです
自分の声を聞いたこともなく、補聴器をつけても殆ど聞き取れず、1歳で人工内耳の手術をしてからが言葉の習得スタートでした。3歳までに1000語を身に付けさせよう。動詞を多く使えるようにしよう。しまじろうに追いつこう!!
色々なことに取り組んできたんですよ。でも、いま鮮明に覚えているのはこれだけです
重度の難聴児は1000人に1人と言われていますが、いまでもアメンバー申請をくださる、いままさに難聴の乳幼児を育てているママさんたちも読んでくださっているのかな?と思います。
今でこそ悩みは中学受験のことばかりみたいになってますが
たくさん悩んで悩んで落ち込んで少しずつ前を向いて、周りと比べても仕方がないのに比べちゃって辛くなり、ブログで吐き出して、励ましてもらって前を向いて。
いまは中学受験の伴走で同じようなことをさせてもらっています。ありがたいなぁとしみじみ思います。
選択肢は1つではなくて、周りに目を向ければたくさんあると言うことをここで教えてもらいました。
つくづく思うのは我が子に合った選択をすることが大事なんだろうなと。一人ひとり違うので、上手くいっているやり方をそのまま取り入れてもうまくいかなかったりすると思います。娘ちゃんはまさにそうでした。常に試行錯誤でやってきました。療育施設では断トツにカリキュラムの進度が遅かったです
今ならそんな事もあったねって笑って話せますが当時はものすごく辛かったです…。
難聴児としての療育は難聴学級で細々続けているものの、親の手は離れましたが、今度はこの先の中高6年間をとにかく笑顔で過ごしてほしいので、娘ちゃんが中学受験で行きたい学校に合格できるようにサポートしていきたいと思います!