急に再開。私の歴史。
最近、「どうしてバッグを作る事になったのですか?」とよく聞かれます。。。その度に、「え~っと。。。子供が幼稚園の時のバザーで。。。」と説明するのですが、一度、自分でもきっちりとバッグデザイナーである現在までのストーリーを改めて確認してみようかなと。。。どのくらいの長さになるのか、すぐに終了になるのか。。。
その1はこちら♩
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高校生になって、最初は相変わらずやる気満々だった私。でもなんだか色々と楽しくなくなっていました。そういうお年頃だと言えば、まあそうなのですが。。。
高校生になったら、勉強を全くしませんでした。部活も一応やっていましたが、サボってばっかり。。。とにかくやる気がない人でした。高校に入ってすぐの夏休みに通学に1時間半かかる場所に引っ越したのもあって、学校もあまり行きたくないなあ~って感じで、だらだらと2年間を過ごしました。
そして高三の春に母に聞かれました。「ところでどこに進学するの?」と。母には成績表も見せていなかったのですが、薄々気付いていたみたいで、なんとかしないといけないと思ったようでした。
結局、母の友達の息子さん(医大生)が家庭教師をしてくださることになりました。とにかくどこでもいいから大学か短大に行きます~。な脳天気な私に厳しく接してくださった先生には感謝です。志望校も絞ってくれて、私にとって一番効率よく合格で来る方法も考えてくれました。
それは自己推薦での入試。高2までの悲惨な成績を底上げして、推薦の基準に達するために高三の1学期はすごい集中力で勉強しまくり、実力テストで学年一位になりました!!定期テストも好成績だったので、推薦も受ける事が出来、希望の短大に合格しました。2学期中に。
ある友達に要領が良すぎると言われたのですが、私もこうやって思い返していて思いますが、ここぞの集中力はあるんですね。今も制作活動に役立てています。
まあ、とにかく、これで神戸の女子大生になれる!!と大阪人である私は浮かれて3学期を過ごしました。
当時、はまっていたデュランデュランのコンサートに一月に行って、まだ大学が決まっていない友達に怒られるくらいの天然のアホさ加減でした。
勉強には熱心になれなかったのですが、好きな事には相変わらず熱中してました。その頃、レンタルレコード屋さんというものが出来たので、少ない小遣いで通ってました。やっぱりイギリスの音楽が好きでした。デュランデュランとかヘアカット100とかスバンダーバレエとか。ルックスも重要視しておりました!
今は逆に、ブランドの革バッグを持っていても「作ったの?」って言われます。。。
その頃は、神戸にあるボビーズというアイビートラッドなお店やDo!Familyなんかが大好きで、アイビーぽいカジュアルな服が好きだったので、靴もリーガルのタッセルローファーを高いと怒られながらも買ってもらって、制服にデイパックとローファーの組み合わせがお気に入りでした。
リュックは形を頭の中でイメージして、それを大体こんなんかな?とパーツも考えながら、型紙を起こして、お店でデイパックをじっくり観察して作りました。
上質なおしゃれを知っている(リュクスな)大人のためのバッグブランドTamao Yugeの弓削珠緒でした。









