その1
その2 
その4
その5
その6
その7


キッズイングリッシュスクールの先生の仕事にやりがいを感じていた頃に妊娠が発覚。しばらくして「切迫流産」の危険があると言われ、仕事を辞め、自宅や実家で療養することになりました。

しばらくおとなしくしていて、お医者様から動いてもいいと許可が出ました。仕事も辞めてしまったので、家事以外することがありません!夫は帰るのが遅かったので、ひとりぼっちの時間が多く、退屈していました。

今も変わりませんが、梅田の百貨店をうろうろするのがその頃も好きでした。ある時、手芸用品コーナーでベビーブランケットに刺繍をするキットが売っていて、やってみたくなり買ってみました。それが、久しぶりの針と糸を持つ経験でした。

最初は楽しくやっていたのですが、同じ刺繍をいくつもいくつもやっていくという繰り返しにすっかり飽き飽きしていました。苦笑

ベビー服を作ろうと思い、作り方の載っている本を買ってきて研究したりしていました。近所にあった生地屋さんには、私が欲しいと思うような生地がなく、百貨店にはありましたが、高いなあと思って手が出ませんでした。どこに行ったら、私が欲しい生地ってあるんだろうと思っていました。そして長女を出産。育児が大変過ぎて、手仕事とかそんなこと言ってる暇は全くなくなりました。

ちょうどその頃は【公園デビュー】という言葉が流行りだした頃でした。私も娘と一緒に毎日決まった時間に公園に言っては、同じ月齢くらいの子供達とそのママたちと仲良く過ごしていました。というか、正直に言えば、無理にそうしてました。あの世界は独特でしたね。今なら、嫌な事は嫌って言えるけど当時は無理でした。

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長女はとても元気のいい子で、いつも外で遊んでいたい活発な子でした。今もその頃と一緒な気がするけど。。。親子共々仲良しだった人とは色んなところに出かけては写真を撮ってもらっていました。いい写真が一杯残っていて彼女には感謝しています。最近会ってないけど元気かな?


二人目は男の子でした。二才違いだったので結構育児は大変でしたよ。当時は夫は激務の会社員だったし、実家は遠かったので、一人で一生懸命でした。あ、でも、近くに住んでいる義母は時々、子供達を預かってくれてとても助かっていました。それでもやっぱり毎日の育児は大変でしたが、子供達が二人とも幼稚園に行く様になると、私の時間も持てるようになり、気持ちがすごく楽になっていました。


娘が幼稚園に入った頃に、仲良くなった人のお子さんがいつもママお手製のワンピースを着ていて、とってもかわいかったので、その人たちに色々と教えてもらいました。そこで、私も早速ミシンを使って子供服を作りはじめました。




シンプルなピンクのコットンで作ったワンピース。出来上がったらこうやって試着させてあげたらとっても喜んでいました。


ちなみに後ろに写っているカーテンも自分で作りました。この頃は、いろんな生地屋さんを見つけていて、この生地はフランスのソレイヤードじゃなかったかな?当時、フレンチカントリーなインテリアが流行ってました。阪神百貨店にショップがあって、私もはまってました。



このTシャツも私が作りました。ニット生地を縫うには、2本糸3本針のロックミシンがあると便利と、洋裁好きな友達たちから教えてもらい、ロックミシンも手に入れて、Tシャツも色々作っていました。



そして下の子も幼稚園に入園した時から、幼稚園のPTAの役員を3年間することになりました。最後の年は、洋裁好きの友人と二人で副会長をすることになりました。年に一回のバザーがとても大切な行事でした。他の幼稚園でやっているハンドメイドのバザーもやってみたらどうかな?と提案したのが、私のバッグ作りの始まりなんです。