衝撃の13万円事件以降、金銭感覚がとち狂ったのか、初めての独り暮らしを襲ったトラブルは留まる事知らず、自己破産寸前まで陥ったのであった。
初めての里帰り。
出来るだけ早く大阪に帰りたい。そんな焦りの気持ちか、はたまた逸る気持ちか、東名高速を猛スピードで飛ばしていた。
静岡県。はっきりした場所は忘れたが、前方を走るトレーラーを交わした直後だったろうか。
その時時速は150キロ前後だった。
突然目の前が真っ赤に光った。
あの時の閃光は、今も網膜に焼き付いている。
「オービス」を発動させたのだ。
数週間後、警察からの出頭要請を受け、東大和署で取り調べ。
そして立川の簡裁にて略式裁判の結果、がっつり罰金――7万円。
勤務時間中、社用で役所に届けを出す道すがら、前方の右折待ちの車に気付かず追突。
相手の車が中古車屋の車で、売り物に出来なくなったとの理由で、買い取りを打診される。
半分は保険で、半分は自腹で買い取る事に決まった――20万円
その車をチューンナップしようと買い揃えたカーナビ、CDチェンジャー、ヤン車仕様の装飾品などの総額――20万円
池袋事件後、懲りずに新宿・渋谷・立川などで一瞬の幸福を求めて商売女に貢いだ額――約1数万円
ブンジの女との交際費、旅費、プレゼントのレジ代、大宮で買ったペアの指輪代など――延べ3〜40万円
学生時代に騙され引っかかったキャッチセールスで毎月引き落とされた訳のわからない教材費――総額15万円
…気付けば生活費までもリボ払いせざるを得なくなり、毎月末に入ってくる給料も翌5日にはあっさり引き落とされる自転車操業を余儀なくされた。
そんな惨めな喪失感――プライスレス
総じて悲惨な東京生活であった…
後日談をひとつ。
大阪に帰り、その後もコツコツと借金の返済をしていたが、会社の方針で退職金制度が変わり、積み立てていた退職金が一括で返って来ることになった。
「退職金」は一瞬で露と消えたが、同時に借金も完済できた。
ご利用は計画的に。
身をもって知る、含蓄のある教訓である。
あとがき(2024年8月のコメント)
ドキドキワクワクの元カノとの思い出から一転「地獄の正体」について綴ったブログです。
赤い閃光を浴びたのは清水だったか焼津だったか確かその辺り。あの瞬間はやっちまった!終わった!という気持ちで暫く茫然自失でハンドル握ってたと記憶しています。
いつ警察から通知が来るんだろうと東京の社宅で震えて待っていたコトがつい最近の事の如く思い出されます。
後日、東大和署で見せられた証拠写真にはノンキに鼻歌歌ってるマヌケ面が写ってて、このバカ!何やらかしてんだよ!と本気で自分を憎みました。
とにかく池袋13万円事件以降、金運のなさと金銭感覚の瓦解が招いた不幸の連続。
お江戸に上って「宵越しのカネは持たねぇ」と誤った解釈を誤った運用で上塗りし、脱出不能な地獄のスパイラルに見事に嵌まってしまったのでした。
静岡で赤光の洗礼を受けたのと、瑞穂町でオカマ掘ったのが程近い時期で、
流石に人生オワタ\(^o^)/ と感じました。
さらに生涯味わった事のない壮絶なパワハラも喰らい、いつぞやのブログで述べた「非常階段で首くくる」を本気で考えたのがこの時期でした。大阪(河内国分)の彼女と電話口で破局し、私生活も肌も荒れ放題だった時期です。
もしもあの時自ら命を断っていたとしたら…
その直後の二番目(国分寺)の彼女との出逢いもなかった。人生どう好転するかわからない。
そんなことより産んで育ててくれた両親を悲しませたくないという気持ちが最もだった。
当時も今も唯一の味方が両親なわけで、お陰様で現在も健在なのだが、両親が生きているうちは精一杯頑張ろうと思っている。
学生時代までは人に恵まれていたのに、一転して孤独の寂しさが身に沁みたものだ。数少ない友の存在もまた、有り難かったのだった。
話は戻り、オカマ掘った時の話。
助手席に置いていた地図か何かの書類に気を取られていた瞬間だった。
片側一車線の町道の交差点。
前方の車両が右折待ちで止まっているのに気付かず時速3~40kmぐらいでドカン。
当時の愛車、白いダイハツ・アプローズはガンメタリックの日産・ローレルのテールにヒット。
最初(河内国分)の彼女との思い出が詰まったアプローズ号はラジエーター部分を激しく損傷し予後不良に。即ち一瞬にして廃車。
通勤の手段を失った筆者は、数日間は社用車を借りたりして凌いだが、いつまでもそんな事を続けられるわけにいかず、自転車を急遽購入し片道5km以上ある道程をセッセとチャリ通した。
タダでさえ過酷な労働環境の中、さらに追い討ちをかける体力の消耗。首くくりたくなる気持ちにもなるでしょ?
これについては本文に記した通り、被害車ローレルが売り物にならなくなったという理由で保険屋と折半で買い取り。タマノローレル爆誕の瞬間だ。この時住民票を武蔵村山に移し、事実上の東京都民になっている。
こぼれ話ではあるがチャリ通してた頃「コレでもかってぐらい不幸に不幸が重なったんだからその埋め合わせぐらいあったっていいよね」という理由で、道端に札束でも落ちていないか本気で地面を舐めるように自転車押しながら探し歩いたこともあったのだ。結局あの時の不幸の埋め合わせは訪れなかった。
そんな地獄の底の底を這いつくばったからこそ二番目(国分寺)の彼女とのロマンスがバラ色に輝いたのかもしれない。
ひょっとしたらこれが不幸の埋め合わせだったのかもしれない、今思えば。
仕事運も少しは上向いたかもしれない。
「頑張ろう」というモチベーションができたのだろう。
一方で金運は自ら浪費で握りつぶしていたのであった。
主にデート代とクルマの装備装飾代。「東京の道はカーナビなしでは走れない」と理由をつけて当時まだ高かったナビを購入し取り付けた。
あとは自炊しなかったので食費も割増料金だ。当時は今みたいに気軽にレンチンできる食材も少なかったですね(ウソつけ、半分言い訳だろ)。
そんなこんなでリボ払いのツケが嵩んでの自転車操業に陥ったのだ。地獄から天国、そして地獄へ。止めどなくプライスレスな絶望感に苛まれた東京暮らしであった。
大学生時代にあんなしょーもないキャッチに引っ掛からなければ…もうちょいマトモな生活を送れたかも知れないのに(焼け石に水だったかも知れないが)。
アレも梅田かどっかの地下街を歩いていたら、格好のカモだったんでしょうね、やせ形のイカにも冴えないメガネ男子が。
キレーなネーチャンが言葉巧みにキレー事で釣って、逃げ場のない小部屋に連れ込み「断るなんて卑怯なコト言わないよね」などと色目で脅迫されてクソの役にも立たない教材を売りつけやがる。
性善説で生きてきた当時のクソ真面目で童貞だった筆者の事だから、今のご時世ならコロッと特殊詐欺にも引っ掛かっていたであろう(現代の方がより巧妙化されてるやも知れぬ)……
人は信じてはならぬのだ。
ご利用は計画的に…もそうなんだが、大阪に帰ってきて間もなく退職金の一括返戻という徳政令カードが発動し、ようやく筆者に取り憑いていたキングボンビーが彼方に消え去ってくれたのだ。
それよりもそこから十数年ほど経った辺りから俄に「過払金の返金」やら「司法書士法人◯◯事務所」系のコマーシャルが増え出し、今さら言うてくんな、とっくに消滅時効じゃ!と憤ったこともあった。
ツイているのかツイていないのかようわからんのである。禍福は糾える縄のごとしとはよく言ったもんだ。
人生を折れ線グラフ化すれば、首くくると言っていた頃が確実に一番底だろう。そこからお弁当のバランのようにギザギザを描きながら上がったり下がったり、彼女とのあんなことこんなことで上昇しつつ、職場と借金で突き落とされる。大阪に戻ったときは彼女ロスというマイナス要素はあったものの、生活水準においてはゼロ回復。ようやくシャバに出てきた感覚だ。
だから今でも東京時代は「懲役2年6ヶ月」と言えるのだ。スピード違反の罰金刑でリアルに「前科持ち」になっちまったんだが……