【執筆年月】2011年1月
1994年8月の出来事
弾丸九州旅行の翌年の盆休みだったと思う。
無計画の旅が再び始まった。
今度は針路を東に向けた。
前年より更に早い夜の時間帯に大阪を出て、近畿道、名神を走る。
西は岡山だったが、東は京都東辺りが見慣れた範囲だった。
大津からは暫く琵琶湖東岸をなぞる。
車のライト以外は暗くて殆ど見えない。
米原からは北陸道だ。少しだけ琵琶湖をかすめた後、やがて福井県に入る。まだ人が起きている時間帯だ。街の明かりもちらほら見える。
今回は佐渡島に行こうと最初の計画だけは立っていた。
そのため、福井も石川も富山もそのまま通過。目指すは新潟の直江津。
直江津からはフェリーで佐渡の小木港へ渡る。あらゆる交通手段で日本各地を駆け巡る。さながら、某北海道の人気ローカル番組の名物企画のようだ。深夜バスと自家用車の違いはあるが……どうでしょう…
直江津の桟橋では車が長蛇の列を作っていた。係員の誘導でスペースに車を停める。
三等客室で暫し仮眠。ご存知「雑魚寝」である。この時日付も変わった深夜だった。
佐渡島に着いて朝を迎えた。気持ちのいい朝だった。
またいつものようにのんべんだらりとアテもなく、島を廻る。途中何処かの海岸で水遊びもした。
まる一日、何をしたわけでもなく佐渡島に滞在していた。
帰りも深夜発のフェリーで本州に向かった。行き先は新潟港。
地図を調べるナビ担当。関越道沼田が近いとはじき出した。
沼田から山道を走り、洞窟のような細いトンネルを抜けて尾瀬沼に着いた。
夏の日差しを浴びた自然色豊かな湿原が視界に広がる。とても清々しい気持ちになった。
が、当初はこのようなトレッキングは予定に組み入れていなかった。
尾瀬沼をサンダルで散策した家族は…まぁいないだろう。
山道を降り、鬼怒川、日光辺りに着いた。時間の都合で各観光名所には立ち寄れなかったが、一応は北関東のリゾートスポットは抑えた。
当時部分開通の上田辺りで一旦降り、また山道を経由して諏訪に向かう。この時既に深夜。
中央道から名神で大阪に帰るのだが、今回は一度も宿を取らず。車中泊だけで中日本一周を果たした。つくづくタフな家族だ…
あとがき(2024年6月のコメント)
まずこの30年前の出来事について、その17年後に思い出して記したものをさらにその13年後にあとがきとして記している。
割と正確に足取りや時間帯について記されているのだが、思い出に残る旅だったのは無論、旅のお供にしていた録音・録画機材で得た地元放送局の番組やCM等の記録が残っていたからである。趣味が貴重な記録になっている。
この年は大阪から東に針路を向けたため、岡山の墓参りは果たしていない。ただ宵の時間に奈良県三郷町にある母方のお墓には参ったかもしれない。かもしれない。
そこからは西名阪、近畿道、名神、北陸と一気呵成に直江津を目指して行ったはずである。
佐渡島に渡るための情報収集や下調べなど十分満足にしていなかったと記憶している。
そのうち何とかなるだろうなど超楽観的でイージーな感覚で行き当たりばったりな旅は続けられた。その通り、何とかなったのだ。
日も変わり佐渡島で夜明けを迎えた。
この日もただアテもなく島をぐるりと回っただけ。DAOである(DriveAroundOnly)。
何かしたっていえば、水遊びと親父のパチンコだけ(その時息子二人は車内で寝てたかラジオ聴いてたか何か。あ、パチンコは夜の時間帯だったので車内で蒸し焼きにはなりませんでしたよ)
たぶん本州行きの船便までの時間潰しだったんですね。
そして佐渡汽船で新潟市内へ。
デッキで浴びる潮風の心地よさが何となく記憶に残ってる。
尾瀬に行こうとなったのもその場の思いつき。
前々から行ってみたいなという憧れみたいなのはあったかも知れない。地理的に行ける場所にいるから、行ってみようとなったのだ。
でもまさか…
行くならそれなりの格好というものがあるだろうよ。サンダルしか持ってないのにさ。
端から見たら何てエキセントリックな親子なんだと映っていたに違いない。
でもこれが行き当たりばったり旅の面白さ、醍醐味なんだと声を大にして言いたい。
こんな旅だからイワナの塩焼きがずば抜けて美味いのだ。
新潟から福島、群馬と行ったことない県を経由して栃木県へ。既に日没近くなっていたため日光や鬼怒川等の名所には立ち寄れず、腹ごしらえのために「湯葉」専門店を探すことにした。
良さげな店を見つけ、湯葉料理を堪能。
店主に関西方面への近道を聞く親父。
今市から日光方面に出て、いろは坂から金精峠を抜けると群馬県に出る。前橋からは上信越道があるから長野県経由で名古屋から関西に帰れると、親切に教えてくれた。
だが帰りも長い道のりだぞっと。
当時は高速自動車道も部分開通で途切れ途切れだったので、高速道と下道の繰り返し。長野県の上田から諏訪方面へは峠道を越えて行った。
夜更けの峠道は時々不安さも覚える。
そういえば、この当時からさらに数年遡るゴールデンウィークに白樺湖近くでキャンピングしようとしたら、季節外れの雪が降りやがって、闇バーベキューをした後に、結局テントも張れずに急遽民宿を探し訪ねたという涙ぐましくほろ苦いエピソードを思い出した。
そんな因縁の諏訪地区を抜け出し、中央自動車道の案内標識を見つけたときは一種の安堵感を覚えた。
ここからはもう電車道(マイカーだけど)。
名神多賀あたりで三度目の夜明けを迎えた。
車中泊だけの長い旅は間もなくフィナーレ。
尾瀬沼のサンダルトレッキングぐらいしかマトモな観光はしていないが、いろんな所を回った、足跡残した、マイルを貯めた、様々な表現ができるほど「面白い」旅だったのは間違いない。
筆者、こんな旅が大好きなんです。
そして、行く先々で食べる「なんでもないもの」も大好きなんです。
共感してくれる人、いませんか?