執筆年月】2024年5月

1997年の出来事


筆者は1993年に大学に入り、1998年春に卒業し新卒で就職した。

差し引いて5年、大学に通っていた事になる。

つまり1年ダブっている

ではどの時点でダブったか。

4年目のまもなく卒業という段階で、必修(語学)の単位を落としてしまったのだ。


京都の呉服関係企業に就職も決まっていて、友人2名と沖縄へ卒業旅行も済ませたのに。

京都には内定辞退を告げた。

留年が決まった日の夜はさすがに悔しくて悲しくて涙が止まらなかった。

いろんな人に申し訳ないと。


ところが大学の卒業旅行を2年連続で敢行するという稀有な人生を経験しております(笑)


就活も仕切り直しで、履歴書と面接に明け暮れ、アルバイトは毎日朝刊のみの新聞配達。

毎朝3時起きの完全な朝型人間だった。

大学は落とした必修科目のためだけに通った。

空白の一年と銘打ちながら、それなりに忙しい日々を送っていたようだ。


新聞配達のバイトはその前年からやり始め、およそ1年半ぐらい雨の日も大雪の日も休まずに続けられた。

生野の自宅から隣の平野区まで自転車で通い、これまた自転車の荷台と前かごに大量の新聞の束を載せ、まだ暗い内から配って回った。

特に5階建ての公団住宅はハードワークで、かなり足腰が鍛えられた。当時の筆者の太腿はパンパンで、周りからは「競輪選手みたい」と言われたものだ。

身に付いたものは忍耐力。かなり鍛えられる。


氷河期の入口という時代に、精神力とフットワークを身につけた筆者が挑んだ就職先は、かつてオープニングスタッフのアルバイトで申し込んで、土日出勤ができない理由で落とされた、某複合アミューズメント施設チェーン。

応募者名簿に名前が残っていたからか、正社員募集の案内状が届いたのだ。

ダメ元で会社説明会に向かえば、あれよあれよと最終面接まで残ったのだ。

大学放送局で鍛えたトーク力が功を奏したのか、案外接客業も悪くないなと感じた。

在学中の自分の適性が営業職と思い込んでいたので、今風に言うところのB2BからB2Cへのシフトチェンジである。


夏ごろに内定が出て、あとは無事に卒業できるかというだけとなった。

そんなこんなで、内定先から入社前の体験アルバイトのお誘いが来た。

落とされたアルバイト先でもある、実家から近い平野区の店舗だ。

1997年のクリスマス辺りの年末繁忙期から、新人研修の始まる翌年3月半ばぐらいの間、アルバイトとして主にボウリングのアシスタントと呼ばれるフロアスタッフの仕事をさせてもらった。

クリスマスとかいうイベント事には全く縁のない筆者ではあるが、「リア充ども」を目の当たりに初めて演出する側の立場で痛いほど「お仕事」体験をさせてもらった。

(それまで試験官、工場、市場、新聞配達といわゆる接客バイト経験はなかったのだ)

これがこれからの「飯のタネ」になるんだ…


通学に新聞配達に就活にと慌ただしい毎日を過ごした履歴上の「空白」の年。

運転免許の教習所通いも同じ時期かと思っていたが、自身の免許証を見るとどうもその前年の夏に取得していた。これはどうも大学4年目にチャレンジしていたようだ。

当時の四年制大学男子では遅い方だった。

頑なに「免許取ったって乗るクルマがない」とか言って教習所通いを拒んでいたが、取ってしまえば無類のドライブ狂。

親のクルマを借りて一人ドライブ三昧だった。


さて半分学生、半分社会人擬きという身分で過ごした多忙な毎日の中、色恋話はどうなったのか。20歳の時に食らった傷もようやく癒えたのであるが、相変わらず「あのコ俺に気があるんじゃねぇの症候群 (別名:男の盛大な勘違いシンドローム)」重症患者なままで、二度ほど痛くて苦いやらかしを犯している。全く懲りてない。


話は大学4年目の夏の話。

運転免許教習中だった筆者は、一度修検に落ちるなど波乱を乗り越え何とか卒検までこぎ着けた。

そんな卒検当日。

同じグループにいた女の子が積極的に声をかけてくる。今思えば単に話好きな性格なのか、人と話すことで検定の重圧から解放させようとしただけかなんだろう。

筆者の勘違いシンドロームが発症し、ワンチャン狙いのギャンブルをカマしてしまったのだ。

翌日か何かにある、本免許学科試験も一緒に頑張ろうねという話になって、この「一緒に」を一緒に門真まで行こうねか何かと早合点した愚かな筆者は、京阪京橋でウロウロ…古川橋でオロオロ…門真の試験場でキョロキョロ…していたのであった。

ま、なんとか免許は無事に取れはしたものの恋の免許は見事に失効

根本的に単細胞で、誘惑にハマり易いだけなんだと思う。


それと就職先入社前の体験アルバイト中での話。

年末年始の繁忙期も過ぎ店舗が落ち着くと、逆に平日のデイタイムなど鬼のように暇になるこの落差に驚く。

ある日、新たにアルバイトの女の子が加わった。完全に一目惚れだった。

後に同じ大学の後輩だと知り、ますます親近感をもって仕事を教えたり、休憩中の雑談も弾んだ、という記憶が残っている。

研修期間を終えた筆者が先に職場を去ることになったのだが、最後まで告白することはもちろんなかった。

偶然を装ってオートシューザー(自動貸靴機)裏の小部屋で二人っきりの状況を作り「最後に写真一枚撮らせて」と無茶なお願いをしたのが精一杯だった。

今のように気軽にLINE交換しようぜ、とかない時代の話だ。                                彼女のつけていたレモン系の香水の香りの記憶が薄く心に残っている。

どんな顔だったか覚えていない。無理矢理撮った写真も今は残っていない。

しかし今振り返れば、この出来事が「伏線」だった…気もしなくはない。

少しずつ学習はしていってるのだ。