ここで方針転換した。
大概、18切符を手にすると帰りの事を考えて3日目ぐらいからは戻りのルートを計画するが、えぇぃこうなったら行けるトコまで行っちゃえと考えた。
こんな旅、二度としないかもしれない。後悔だけはしたくない。
「振り向かない旅」の始まりだった…
計画を練り直し、早朝、西川口を出て、上野に向かった。
常磐線ホーム。もう後ろは見ない。土浦行きの列車は大都会東京を後にした。
土浦から水戸行きに乗り換える。時期は弥生の梅の季節。この列車は偕楽園に臨時停車すると言う。
期間限定とか臨時停車という言葉には弱く、偕楽園で降りてみた。
日本人で良かったと、富士山を仰いだ時と同じ気持ちになった。
水戸までは路線バスに乗り、水戸で土産の納豆と、黄門弁当を買う。いわき行きに乗り、弁当とポケットのオールドを流し込む。
一気に旅情が湧き上がる。
ここで手持ち資金が枯渇していることに気づいた。郵便局を探さなくては…
いわき駅の改札を出て駅前の地図でチェック。
知らない街で知らない場所に行くのは重労働だ。土産物ですっかり重くなった荷物を抱え、早足と駆け足の中間で郵便局へ。そのまま来た道を戻り、いわき発仙台行きに間に合わせた。
旅情なんて何処へやら、ヘトヘトになった。
仙台に着く頃は夜だった。明日の食事にと、紐を引いて温める名物「牛タン弁当」を買っておいた。
仙台の街は、個人的な印象だが整ってる感じがした。また、ネオンサインなどの街のパーツの一つ一つが何故か大きく見えた。
匂当台辺りにはデジャブを感じた。さしずめ、淀屋橋界隈に似ている。これだけで妙な親近感を覚えた。何だか仙台の街が好きになった。一目惚れみたいなものだ。宿は青葉城址近くのビジネスホテル。仙台への好印象を抱きつつ3日目の眠りに就…
あ、地震だ。あとがき(2024年3月のコメント)
ここでタイトル回収。
もう後には退けない、トコトン前進あるのみで北へ北へと駒を進めるのでした。
結果的にこの旅が生涯忘れられない思い出史上第一位であることに未だ変わりなく、またJR各路線の3セク化で今では18きっぷだけでは回れないエリアもある中、コスパよく行けるトコまで行けた意味は大きい。
この選択に誤りはなかったと確信している。
当時、本州の栃木から先(北の方角)は未知の領域。高校の修学旅行で北海道に行ったことはあったけれど、行きも帰りも寝てる間の移動だったので「ぼくの知らない日本」にこれから向かうことに対して、すごくワクワクドキドキしていたことを覚えている。
在来線で上野から東北方面へ行くには主に二通りの行き方があって、東北本線経由(はくつるルート)か常磐線経由(ゆうづるルート)か。
先に述べた通り栃木(日光から群馬県方面)には訪れた事があったので、ここは迷わずゆうづるルートを選択した。
まずは偕楽園から水戸まで。
偕楽園の途中下車は迷った挙げ句、下車数分前に突如決めました。この辺が「行き当たりばったり旅」の要素を出してます。
観光客も多く(この当時、外国人はあまりいなかった)一年で一番いいタイミングで訪れたことがラッキーであり、かつ誇らしく感じました。
あとは本文に綴った通りの感想です。
初めて訪れた割に、水戸までの移動は手際よく路線バスの乗り場を見つけ、スムーズに水戸駅にたどり着けました。
案内が良かったのと天性の「ヲタ力」が発揮されたのでしょうか(笑)
少し買い物をして、さらに未知への旅を続けることにしました。
いわきのドタバタ劇は本文の通りで、今ならスマホのマップアプリでささっと往復できるのですが、紙の地図も持たずによくやったなと不思議な気分で振り返っています。
いわき駅の周辺地図を見ただけで駅から最寄りの郵便局までよう行けたなと。これも例のヲタ力の成せる業なんでしょうか。
今日日、スマホなしでそれやれ言われてもようせんわ。
仙台の街並みについての感想、あまり意味がわかりません(苦笑)
しかし当時抱いた印象がそうだったんだなという感じです。それまで東名阪の詰め込まれた街並みに見慣れすぎていて、スマートに整った建造物やサインを見て一目惚れしたのかも知れません。
勾当台辺りは公園とビル群の調和、市役所に近いということがそう思わせたのでしょうか…
とにもかくにも仙台が好きになった、ということで。
ところで、詳しくは2話先のブログ(Day5)で触れますが函館駅で偶然、青函トンネル開通10周年記念式典に遭遇したのですが、青函トンネルの開通日は3月13日。
このセレモニーもそれに合わせて開催したと思われるので、筆者がその2日前に仙台入りしたということは、この日は3月11日。
この日の晩に地震に遭ってたんですね。
確か震度3か4ぐらいの揺れが長く、繰り返し続いたかと記憶してますが、まさかちょうどその13年後の同じ日に………
しかもこのブログの元ネタを執筆した僅かその2ヶ月後に…
あれから13年が過ぎました。
好きになった街、仙台のめちゃめちゃになった姿を見て悲しくなったのを覚えています。
今年は能登にも大地震と津波がありました。
街が一瞬にして破壊され、消えてしまうのは本当に辛いです。自然に抗うことはできませんが、能登地方も神戸や東北のようにまた甦ってほしいものです。街も、人々の笑顔も。
視線は未来へ。辛い過去を「振り向かない旅」はこれからも続きます。