【執筆年月】2011年1月
1998年3月の出来事
「5年間」の大学生活最後の思い出に、一人旅を決意したのだった。
実は大学4年に、友人達と沖縄へ「卒業旅行」済みだったので、二度目の卒業旅行だった。
これで留年したことをカミングアウトしたことになる。
もともと旅は好きで、特にアテのない一人旅に憧れていた。社会人になってからも、自分の車で知らない所へただ行っては一人悦に入っていた。
青春18切符を手に入れ、3月のある早朝、自宅(当時、生野区巽西在住)を出て、大阪環状線の始発に乗るため、桃谷駅までの長い道程を歩いた。大きな荷物を持って。
まだ知らない日本がある。そう思うと何故か見慣れた環状線も、大阪駅も新鮮に見えてくる。
特に人が動き出す前の未明の「キタ」の光景は初めてだった。
そんな大阪の別の顔を後に、快速列車は一路米原を目指す。
米原からは躊躇いなく大垣行きに乗り換える。
大垣からは豊橋行きの快速が出ているが、名古屋で途中下車。
それまで名古屋は通過しただけで、がっつり名古屋を散策したことがなかった。事実上の初名古屋だった。
まずはエキナカできしめんを食す。
そして地下鉄で向かった先はSKE、もとい栄である。
テレビ塔に登った。平日の早朝の為、他の客はおらず、貸切状態で名古屋の街を一望した。
信長の心境までには至らなかったが、生意気にもこれで尾張は抑えたぞと、少し得意気になっていた。
次に訪れたのは大須観音。ジジ臭いチョイスではあるが、何となく名古屋と言えば大須観音というイメージがあった。
「わーい3時だ!大須ういろの時間だ!」というフレーズが脳裏にあったせいかも知れない…
また段取り通り、豊橋から浜松行きの普通列車に乗り換える。浜松から静岡、静岡から三島(沼津で下車)へと計画通りに旅は進行する。
この間、車窓を楽しむ以外は、途中下車もせず、一泊目に予定している御殿場をひたすら目指すのであった。
熱海や伊東も魅力的だったが、御殿場にした。リーズナブルなビジホもあったので。
そして御殿場にて、最初の夜を迎えるのであった。
あとがき (2024年2月のコメント)
文中の(沼津で下車)にまずは目がいきました。
今だったら間違いなく一泊目はここにしていただろうと。
そして一日(または半日)観光に充てていただろうと。
もちろん当時はラブライブ!サンシャイン!!のラの字も幻日のヨハネのゲの字もなかった時代、沼津など静岡県のイチ漁港町で御殿場線との乗換駅ぐらいの認識に過ぎず、まったくノーマークにしてました。
(ホントはそういうの抜きにしても由緒あるシャイニーな街なんだよね…)
2020年11月撮影の沼津魚市場
沼津内浦からの「駿河湾越しに見える富士山」など知る由もなく、富士山ゆうたら御殿場やろうという固定観念だけでチョイスしたんですな。
或いは「旧東海道本線」たる御殿場線に乗りたかったという乗り鉄魂が発動しちゃったのかもしれません。
「熱海や伊東も魅力的」とあるが、高級温泉宿に泊まる経済力は当時から無かったんでしょうな…
最初の立寄り地、名古屋はここに書いてあるとおり観光目的では初めて訪れました。
予備知識的に名古屋の見どころとして選択肢はいろいろあったと思いますが、時間的制約もあってか久屋大通から大須界隈をチョイス。
この時ナナちゃんには巡りあえてなかったんですね……
食した名古屋めしは、きしめんと天むす。
初心者級の選択だったと思います。
しかしながら、この初名古屋体験ですっかり名古屋のトリコになったのでした。
大名古屋ビルヂング(2020年11月撮影)
当時スマホはもちろんなくて、携帯電話がようやく一般化された時代。
筆者もピッチ(PHS)は所持していました。
旅のおともは少年ジャンプサイズのJTBの時刻表。乗り換えも到着時刻もこいつをパラパラめくって印を入れたり、巻末のホテル一覧からピッチを駆使して予約の電話を入れたりしておりました。公衆電話からでないところが、昭和ではないビミョーな平成初期感……
で、もう一冊旅のおともにしたのは「ラジオライフ別冊 ラジオ番組表」
当時鉄ヲタ兼遠距離受信ヲタだった筆者は、旅先にてローカルラジオ局の地方CMやOPED(放送開始・終了)音源をコレクションしており(これもいつかブログで語ります)、そのためのタイムテーブルをおさえる必需品でした。
この蒐集活動に必要な機材も一式連れていったので、かなりの大荷物になったのもこの旅の思い出のひとつです。
因みに「わーい3時だ!大須ういろの時間だ!」とはCBCや東海ラジオなどで流れる時報CMで、音源はこちら↓
これも地方CM蒐集で得た知識(笑)
あとがきのほうが長くなりましたね。
今回はまだまだ序の口。
今週から5週連続で18きっぷ旅を綴ってまいります。
よろしくどうぞお付き合いください。