執筆年月】2011年1月
1998年12月の出来事

2年半の東京生活を語る上で、この事件について避けては通れまい。

転勤して日も浅いある公休日の事。
慌ただしい開店準備も、オープン後は少し落ち着いたものの、職場ではうまくいかない事が続き、ムシャクシャしていた。
ほんの軽い憂さ晴らしのつもりで、都心に出てみた。
どうせなら女遊びの一つでもと選んだのは何故か池袋
知識と下準備があればもう少しマシな選択もあったろう。池袋に行こうとした動機について、今更知る由もない


アテもなくフラフラ歩いていると、擬似餌に掛かった魚のように客引きに捕まる。
それなりに可愛い娘の写真を見せられ、催眠術にかかったように店内へ。

出てきた女は決して「若い娘」ではなかった。と思う。
一通りの「サービス」を受けたが、到底満足できるものではなかった。
さぁここからが商売の始まりと言わんばかりに、様々な「オプション」をふっかけてくる。
こちらが「クレジットカードホルダー」だという事実を知るや、オプションの商談は容赦ない。
こちらも満足を求めるだけ求めて応戦する。

そんな応酬が続き、何とか「満足」の域まで達する事が出来たが、明細を見て、一気にボルテージが下がった。
金13万円也

当時の1ヵ月分の手取りが軽く吹っ飛ぶ額である。
その後の家までの足取りたるや、重々しい事は容易に想像出来るだろう。
だが、この事件に懲りず、その後歌舞伎町ではとんでもないババァに「」だけで済まされたりもした。
道玄坂のガングロギャルはまぁまぁ当たりだったが…

色々と失敗を重ねた後、結局近場の立川にオアシスを見つけたのであった。
立川駅の南口。
いつしかそのオアシスの常連になるのであった…

破滅の序章でもあった。


あとがき(2024年7月のコメント)

当時24歳

前々からちょっとずつ「匂わせ」発言をしていた本件事案。いよいよベールを剥がします、
伝説の池袋13万円事件

本文の最後に記した通り、破滅の序章であります。
それまで固く閉ざされていたリビドーの塊が一気に開放された瞬間であり、同時に地獄を見た瞬間でした。
あ、ちょっと嘘。
リビドーの塊はそのちょっと前に開放したんだったっけ。

とにかく、そのちょっと前の出来事が半ば強制終了された後の出来事でした。
概ね本文の通りで「行為」の仔細まで覚えていないため、補足のしようがないのだが当然「本番」はなく、ひたすら手と口のみで始まりから終わりまで続けられたものと記憶している。
その「終わり」がなかなか来ねぇもんだから…
(その理由は察して!)

ハッキリ言おう。当時13万円はかなりのショックではあった。しかし今思えば全くその価値はない。
金の使い方を明らかに間違えている。「ソレ」に大金を注ぎ込むべきではなかった。
まだまだ未熟、甘ちゃんだった。
しかし当時は撤退する度胸もクソもなかったんだろうね。若いね。
しかも散々懲りたはずなのにまた同じ過ちを繰り返そうとしている始末。
初めから近場にしときゃいいのに。
ただその近場の穴場については地元のアルバイト情報だったので、時間がかかったのはまぁ仕方がなかったのかな。

それからというもの「遊び」に拍車がかかったのは言うまでもない。
ちっとは反省せい(怒)





もうひとつのあとがき(2024年7月のコメント)

(ヒソヒソ)
これには伏線があった。という話を思い出した。
この事件の数ヶ月前。
まだ大阪で仕事をしていた頃の話。

当時、社内恋愛で付き合っていた彼女がおり(さらっと言うね~、散々モテなかったクセに…)その噂がまことしやかに囁かれていた頃、当時の上司(支配人)らと「お前、風俗行ったことあるか?」みたいな話題になった。
風俗はいいぞ~、あんなことこんなことあるぞ~、お前行ったことないんか~、的に話はエスカレートし、同僚の中途社員A井氏(風俗の達人)に唆されて、阿倍野の○ッチ○ールに連れて行かされたことがあった。
日の出を狙って。
プロ入りデビュー戦だった筆者は緊張していたのか、行ったのにイカナカッタ状態で敗戦投手となってマウンドを降りたのだった。
という背景がありまして、池袋(何度も言うが何でソコ?)でリベンジ登板しようとしていたのだ。

そんなこんなでオプションのおかわりを重ねに重ね、被安打13、7失点ぐらいでヘロヘロになりながら何とか完投勝利を収めたのだった。
こんなグダグダなルーズベルトゲームの代償は途轍もなくでかく、後味の悪い試合となってしまったのだ。
全く野球の話をしていない訳だが。