警察の人の訪問が数回あった後、公安調査庁の人も私(筆者)の自宅を訪ねて来るようになった。警察の人とは私(筆者)の自宅で話をしたが、公安調査庁の人とは自宅とは別の場所へ行きそこで話をするというパターンだった。まあそれぞれの流儀というものがあるのだろう。

 2回ほど訪問を受けた後、その人の依頼で私(筆者)が公安調査庁の出張所に出向いて当時の教団生活や現在の心境などについての話をすることになり、またそこでその内容を記録した調書を作成することになった。1995年9月下旬頃だったと記憶している。

 担当の人と1時間ほど話をして、その内容を調書にするというやり方だったが、もはや詳しい内容は覚えていない。主旨としては今後私(筆者)がオウム真理教に再入会し活動を再開する考えは全くない、といったものだった。それらが終わった後、担当の人に

 「信者の人がこれほど真っ直ぐな(心の)人だったとは以外だった」

と言われたが、私(筆者)としてはこれまで散々書いてきた表現〝知らぬが仏〞のこれも1つの現れかと思っている。

 最後にその事務所にいた人達からお菓子の差し入れを頂いた。特に感情はわかなかったが有り難く頂戴し、この人達とお別れした。


 
 


 これまで私(筆者)自身のオウム真理教信者としての経験を時系列に添って書き続けてきたが、これを以て一区切りとさせて頂きたい。教団脱会後の私(筆者)の生活についての詳細は現在書く心境になれない。すぐには文章化して表現することができないと言い換えてもいいかも知れない。1つのことを書くにも様々な葛藤がありとてもスムーズにはいかない。

 従って今後は教団及び教団生活についての断片的な話を想記され次第書いていく方式と、脱会後の生活について内容及び心境がまとまった順に書いていくことにする。

 従って必ずしも時系列には添えないことをご了承頂きたい。