《取り調べ初日~ 3日目》 

 私の予定は大幅に狂ってしまった。宗教弾圧により不当に逮捕され、恫喝や暴行を受けてもそれに屈することなく教団や自分の無実を主張する。拘留期間終了後、自分が生きていればそのようなことを裁判で世の中に訴える、という段取りを考えていたのだが、現実に私(筆者)の目の前で示されたことは、そのような想像とは完全にかけ離れていた。


  教団は広瀬健一や横山真人が主導して自動小銃密造を本当に行っていた。私が広瀬に指示されて熱処理を行っていた直径約 3㎝長さ約30㎝の丸棒は、コスモクリーナーのシャフトになる部品であるという広瀬健一の説明とは異なり、熱処理の後一旦清流精舎でシャフト状に加工されたものの、第9サティアンに送られた後、自動小銃の銃身の形に加工されていたのであった。

  取り調べでそのことを知らされた私(筆者)は、「これはコスモクリーナーのシャフトになる部品だ」と説明した広瀬健一のことを思い返していた。

  自動小銃どころか武器につながるようなことは広瀬は一切口にしたことはない!ところが自動小銃を造るにはそれを完全に隠して部下の信者にやらせることは不可能だ。即ち私(筆者)以外の広瀬や横山の部下で自動小銃を造ることがわかっていた者がいたことになる。

  それは誰か?1994年の 7月頃に清流精舎から第9サティアンに配属された者達だ。という風に1つづつ思い当たることを頭の中で整理していった。

  しかしそんなことはすぐに意味がつながり、頭の中のほとんどは武器製造の事実を隠して私(筆者)に指示を出していた広瀬健一への反感が占めていた。その雰囲気を取り調べ官のK警部補も察知したようだ。

 「広瀬に関する資料を見せようと思いましたが、明日にします」

 と気を利かせた様だった。



《取り調べ 4日目以降》
 
 取り調べが始まって4日目頃だった。K警部補が「広瀬健一の供述調書を見せましょう」と言って1枚の書面を私(筆者)に示した。それには〝上申書〞と書いてあったので、私(筆者)が逮捕された当日の夜に作成した〝弁録〞と同じだと思った。

  日付も 5月16日になっていたので、広瀬健一が逮捕された当日に書いたものだと推察された。

 ※実は日付だけ嘘(うそ)だった可能性が高い。広瀬健一は逮捕後約1ヶ月黙秘を続けていたことから、この書面は1995年 6月中旬に書かれたものと考えられる。しかし当時はその日付を私(筆者)は信用していた。

  筆跡については他の誰かが巧妙に広瀬の筆跡を真似て書いたものでは絶対にない。私(筆者)がいつも見ていた広瀬健一の書いた書類の文字と完全に一致していた。このクセの強い文字を逮捕当日に即席で真似して書ける者などいない(後に広瀬がペン習字を習って書いた手紙などの文字とは異なる)。

  問題はその内容である!最初の一言が、


 「私 広瀬健一は地下鉄の車内に猛毒のサリンを散布するという大罪を犯しました。・・・」


  何と!二度見 三度見したが間違いなく広瀬本人の字で〝私がサリンを散布しました〞と書かれているのだ!しかも逮捕されてすぐにだ!そんなことがあるのか?

  私(筆者)の頭の中は激しく混乱したが、できるだけ表情を変えないように努めた。そして私(筆者)はK警部補にこのように述べた。


 「広瀬本人の書いたものに間違いありません。それは常日頃、広瀬健一の書いた書類を見ている私が一番よく知っています」

 「しかし広瀬が書いたことに間違いはなくても、事実とは限りません。なぜなら脅されたり暴行を受けるなどして強要されている可能性を否定できないからです」

 
 そこから議論は平行線になった。私(筆者)は武器製造即ち自動小銃密造に関しては事実を認めた。しかし地下鉄サリン事件だけは完全な証拠を自分で確かめられない限り認める訳にはどうしてもいかなかった。

  ずっと教団は無実だと信じていたからこそ、強制捜査で不当な扱いを受けても一切抵抗せずに耐えてやってきたのだ。実際はオウムが犯人だとわかっていたら、あの高橋君のようにとっくに脱走・脱会していただろう。

  これまでさんざん通達や書籍などで教団上層部から流されていた情報は、国家権力がいかに狡猾で悪質かという情報と、教団が無実である状況証拠を(もっともらしく)いくつか挙げたものだった。それゆえにいきなり地下鉄サリン事件は教団の犯行だという事実を告げられても、証拠を完全に確信するまでは認められない立場と気持ちだった。


 そう言えばたった1度だけ 7月始め頃に、信者W(師補)がこのような言い方をしていたのを思い出した。

 信者W:「地下鉄サリン事件はサンジャヤ師や豊田さん達が実行犯なんですよ!」 
 
私(筆者): 「マスコミではそう言われていますね」

 信者W: 「いえ、本当に実行犯なんですよ!」

 私(筆者): 「はあ、そうですかね?」

 
といった会話だったが、私(筆者)は全く本気にはしていなかった。しかし実はこれがサリン事件が教団の犯行であると〝教団信者が言っていたのを聞いた〞最初の出来事だったのだ。なぜ信者Wはこの事実を知っていたのか?なぜ私(筆者)にいきなりそれを告げたのか? 

 正確な理由は判らないが、数ヶ月前に信者Wは科学技術省から別の省庁(コスモクリーナーの設置やメンテをやっていたので防衛庁だったと思う)に移動していたので、私(筆者)ら科学技術省の信者達とは別行動だった。恐らくは科学技術省の信者よりも現世の情報に触れる機会が多かったと考えられる。 


 1度物事を信じてしまうと、それが間違いであり正しくはこうであると1度聞かされた程度では、心に変化は起きないのだ。それが今まで起こったことのない史上初のテロ事件ならばなおさらだ。


 結局地下鉄サリン事件については、広瀬健一が犯行を自供する内容を書いた書面を見ても

 〝信じない〞

という態度をついに私(筆者)は最後まで変えることはなかった。

 しかし私(筆者)の容疑は武器等製造法違反である。捜査自体に影響は本来ないはずであったし、またそのことで有利にも不利にも作用しないように私(筆者)は努めていた。

 そしてこの後も例の証拠物件について、これを見た時自動小銃の部品だと思わなかったのか?ということについての追及が続いていった。