1991年 テレビが広めたオウム真理教(1)~(4) は読んで頂けただろうか?
テレビ局は、殺人犯であるオウム真理教の教祖麻原彰晃及び教団幹部共を、事件への関与の疑惑を一切追及せずに、生放送の番組にゲスト出演させ、大いに自己PRさせ、有名タレントとも共演させた。
これらテレビ局が冒した暴挙と言っても言い過ぎではない不祥事を、「警察が犯人を検挙できていなかったせいだ」と言うのは、あまりにも無責任な言い訳である。
坂本弁護士一家殺害事件は発生当初は失踪事件として扱われ、現場に残されたプルシャというバッジから、オウム真理教の関与が疑われたが、すぐには解決しなかった。事件発生当初は、テレビ局も週刊誌メディアもオウム真理教の事件への関与の疑惑を追及していたが、時間の経過につれてその追及は発生当初よりも弱まっていった。
そして遂に!1991年 9月下旬に、朝まで生テレビ「激論!宗教と若者」で、それまではオウム真理教に対して追及されていた疑惑が、一切追求されることなく放送されてしまったことにより、
〝オウム真理教の事件への関与の疑惑は晴れた〞
という、完全に間違った印象をテレビを通じて多くの人々に与えたのである。
事件発生当初から約2年が経過して、事件は解決していなかったが、オウム真理教に対する疑惑は何か変化があったのだろうか?何も変わっていなかったはずである。
ここで松本サリン事件と比較した、マスコミの対応を振り返ってみたい。
松本サリン事件 《─────────》坂本弁護士一家殺害事件
河野義行さんに疑惑(無実)《──────》オウム真理教に疑惑(真犯人)
犯人であるかのような扱い《────────》無実であるかのような扱い
この2つの事件でマスコミは完全に間違った対応をしている訳だが、どちらの事件も警察はすぐには解決できていなかった点では同じである。
(すぐに解決していれば起こらなかったことであるが、残念なことに現代は巧妙な凶悪犯罪などもあり、すべての事件がすぐに解決するとは限らない世の中になってしまっている。)
その後の扱いで大きな間違いが発生した。どこにその原因があったのだろうか?
犯人か無実か確定していない場合は、根拠がなければ
犯人であることを印象づけるような扱いをしてはならない。
無実であることを印象づけるような扱いもしてはならない。
はずであるが、
そのどちらかをやってしまい、なおかつ2つとも間違った
ということではなかろうか?
それではその逆なら良かったのだろうか?
結果は正しいが、やり方はやはり間違っている。当てずっぽうに見切り発車したものが、必ず正しい結果を導く訳がないからである。
ではどうすれば良かったのか?
犯人か無実かどちらかわかっていないのならば、どちらかに決めつけた印象を与えるような対応をしてはならなかったのである。
それをテレビの視聴率や雑誌の発行部数を稼ぐためにおろそかにしたことは重罪に値する!
自分達が勝手に判断して見切り発車したものを、警察が検挙できていなかったせいだとする言い訳が通用するだろうか?
もう一度整理しよう。
警察がなかなか検挙、解決できていない事件があり
↓↓↓↓↓
ある人物あるいは団体に疑惑が生じた
↓↓↓↓↓
犯人か無実かはまだわかっていない
↓↓↓↓↓
その時点でマスコミは「警察が検挙していないせいだ!」ということにして、疑惑の人物或いは団体を犯人もしくは無実であるという印象を与える報道の対応をした。
◉(疑惑の人物或いは団体が)無実なのに犯人であるかのような印象を与える報道をすれば、冤罪をきせる行為となり(例: 松本サリン事件)、
◉(疑惑の人物或いは団体が)犯人なのに無実であるかのような印象を与える報道をすれば、犯人に無実のお墨付きを与える行為となる(例: 坂本弁護士一家殺害事件)。
ということになる。
前回私(筆者)が書いた記事〝自分の身を助けることになった決断と対応〞で
〝どちらかわからない時、どちらかに決めつけた行動はしない〞
がまさにぴったり当てはまるではないか!
そうである。
テレビ局はわからないものを自分達で勝手に決めつけて報道した。その結果、
松本サリン事件では、無実の人に冤罪をきせる報道をして大きな風評被害を招き、
坂本弁護士一家殺害事件では、犯人を無実扱いして報道し、犯罪組織の爆発的な勢力拡大を助長した。
それを「警察のせいだ」などと言い訳することは許されるものではないのである。