18日目「字を思い出せない」 | たまねぎちゃんのブログ

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小児がん「神経芽腫」、骨髄移植の慢性GVHD「閉塞性細気管支炎」。在宅酸素+車イスの毎日を送っていた“たまねぎちゃん”は小学4年生の夏(2015年)「生体肺移植」をしました。
慢性拒絶のため、たくさんの薬と入院を続けながら、2024年専門学校入学しました。

気管支鏡をしているところに一度だけ立ち会ったが
涙目になりながら、「おえおえ」してて、辛そうだった。
だけど、、先生たちが「必要ないよ」と言っても
「気管支鏡をして欲しい」と言い続ける時がある。
そんな朝だった。
モニターに写しだされる数値が良くても、本人不調。
苦しい処置より、苦しい状況なのだろう。


ただ、子ども用の気管支鏡の管は細く、効果は限度があり
今のたまねぎちゃんの体調は、しんどくても
体を動かし、自分で痰を上にあげて、咳をする練習する段階
との事なので、辛そうだけど、体勢を変えて、背中を押してたら
本当に大きな咳で痰が出てきて、解決した。
術後より、咳で出せるチカラがついた事を実感した。


それから、どうやら呼吸器を外して長時間過ごすと
まだ回復途中の呼吸筋などが追い付かないらしく
また、補助呼吸をしてくれる呼吸器に2時間くらい替えた。
で、その間に休んで、リハビリは自分の呼吸。
寝るときは、また補助機能付、呼吸器を使用して休む。
と、メリハリをつけようと決定した。


保育士さんに本を読んでもらい、
リハビリでは10秒1セットだけだったが、立った。
その後、車イスに座って、2時間くらい過ごした。


その後、「何か、おかしいな」と思ってたことが明らかになった。
朝から、文字盤を渡しても、放り投げてしまい、とにかく
口を動かして伝えようとする。
字を書かせてコミュニケーションしようとすると、
幼稚園の時のような字を”重ねて”書き始める。



理解不能。


そのうち、やはり瞬きの回数が増え、眼球が揺れ始め、先生に伝え、
小児科、眼科の先生たちを呼んで診てもらうことに。


先日、同じように ”揺れ”から”ケイレン” となった経験があるので
とても不安だったが、ここ数日血圧を下げる薬が内服になり
ちょっと高めの数値だった事が原因かもしれないと点滴開始。


たまねぎちゃんは、揺れながら、「ねむるクスリ入れて」と訴え続けた。
きっと、しんどかったに違いない。


数時間過ぎ、まず体の震えが減少し、眼球の揺れが止まった。
そのうち、「何かおかしい」感覚から、「戻ってきた」と思える印象になり
文字盤を渡すと、大好きな担当医の先生の名前を示した。


漢字も思い出し始めた。
お茶。「お茶のみたいから、持ってこい」ってことね。


前日まで、文字盤も秒速で使いこなし、書くのもスムーズだったのに
本当にびっくりした。
「どんな感じだったの?」と聞いてみると
「文字は見えるけど、分からない。思い出せない。怖かった。」と。

私もとても不安だったけど、本人はもっとだろう。
しかし、気管切開でしゃべれないのに、文字識別能力に
ピンポイントに副作用を起こすなんて、ひどすぎやしないかい?!
と、心の中で憤る。





文字を思い出せたことが嬉しくて、もうペンと文字盤を離さず
ノンストップで、話を続ける。むちゃくちゃ笑顔で話が止まらない。

毎日、盛りだくさんでアッと言う間に終わっていくけど
明日には、ICUから病棟に移動する予定。
私自身はこれで退院となり、個室での付添体制となる。
先のことを色々考えず、まず今日一日に集中して頑張ることにしよう。