副腎疲労になったことに、

意味があるとするなら、


このままの生活を続けていたら、

『最悪死にますよ〜』

という体のメッセージであったことは

間違いない。


生きていく為の 強制終了 だったんだと思う。




そして、もう一つ

大きい意味があったとすれば、

子供と過ごす時間が増えた事。



子供が3〜6歳頃までは、

本当に祖母に任せっきりで、仕事やバンドに明け暮れていた。とにかく全力で必死にやっていた。



子供は私を求めていたが、当時の私は後ろ髪を引かれつつも、やりたい事を優先した。


仕事は見切り発車で始めたところ、あれよあれよと何かに飲み込まれて行くかのように、怒涛の忙しさに突入してしまった。


そして仕事の合間に睡眠を削ってバンド活動をした。若い頃のバンド活動にとても悔いが残っていたので、もう後悔したくなかった。



今振り返れば、

自分を客観視できる余裕はなく、

空回りしていたなと思う部分もあるけど、

とにかくその時は必死だった。




今は当時のような生活のかけらもない。

ゆっくりやっている。

体調の波も考慮し、出来るだけストレスにならないよう、余裕を持ったスケジュールにしている。


祖母にお願いしているところはあるが、ちゃんと子供と過ごす時間も持てていると思う。


とても寂しい思いをさせてしまった。

だから、強制的に今のような生活スタイルになったことは良かったんだと思う。



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