不忍池を後にして、
「花園稲荷神社」にやって来ました。
古くからこの地に鎮座し、
忍岡稲荷(しのぶがおかいなり)とか穴稲荷(あないなり)と呼ばれていました。
寛永寺を開いた天海の弟子、晃海(こうかい)僧正が
1654年(承応3年)、霊夢に感じて社を再建し、
上野の山の守り神としました。
幕末、彰義隊の戦では、
最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。
本殿に向かって右側に、ほこらがありました。
稲荷神社の隣には、
「五條天神社」がありました。
ご祭神は大己貴命(おおなむじのみこと)=大国主命と、
少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱です。
相殿に菅原道真もおまつりしてあります。
境内には、正岡子規の句碑がありました。
「みちのくへ 涼みに行くや 下駄はいて」
「秋風や 旅の浮世の 果て知らず」の2句。
1893年(明治26年)、子規が上野から東北へ、
「はてしらず」の旅に出るときによんだ句だそうです。
ご朱印です。
子規の句碑を見たので、
ちょっと寄り道して、
「正岡子規記念球場」も見てきました。
子規も昔、このあたりで野球をやっていたんですね。
子規の幼は升(のぼる)。
野球という呼び名は、のぼる=「野」「ボール(球)」から
子規が名付けたという説があると
ヘルシー君が言っていました。ほんとかな?
続いて、「上野大仏」です。
上野の大仏様は、1631年(寛永8年)につくられましたが、
たびたび被災し、その都度復興されてきました。
しかし、関東大震災で首が落ち、
第二次世界大戦時には胴体が軍に供出され、顔のみが残されました。
1972年(昭和47年)に、顔だけがレリーフとして安置されました。
ちょっと、面長ですね。
大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立され、
本尊として旧薬師堂本尊の薬師三尊像がまつられています。
大仏についても、子規が句をよんでいます。
「大仏を 埋めて白し 花の雲」
大仏の顔のレリーフは、
「これ以上落ちない」という意味で、
受験生に人気があるそうです。
では、もう少し歩いていきますね。











