青森は離れてみるとどんな場所?

これまで津軽のユーモア精神を勝手に考察してきましたが
三回目の今回は更に深く迫ってみましょう。

これまで多くの力士を角界に送ってきた相撲王国青森
そんな津軽の相撲取りにピッタリな言葉が

『じょぱり』

現在、野球賭博に揺れる角界
そのイメージもブレていますが
昔から変わらぬイメージは
柱に向かって黙々とテッポウを打つ姿。

その姿はまさに津軽の『じょぱり精神』そのものと言えます。

強情っ張りが方言化したものと思われる『じょぱり』
意味もそのままに強情っ張りであります。

黙々と雪道を歩くように生きてきた青森の人々の
そんな生き様を表した言葉であります。

そしてこの『じょぱり精神』とこれまで述べてきた『ユーモア精神』
全く異なる二つの気質だけれど
どちらも間違いなく津軽気質そのものであります。

ネブタ祭で弾け跳ぶ『ハレ』の気質と
雪道を黙々と歩く『ケ』の気質
躁と鬱の極点にめちゃ振り幅があるんですね。

この二つを合わせ持って初めて
『津軽気質』なのです。

沖縄の人を見ると
羨ましくなるんです。

ライブやるじゃないですか?
沖縄の人は、まー明るい。
すぐにカチャーシ踊る。
ステージと客席の境がない。
芸能に秀でた街だからってのもあるけれど
同じように青森の人の前でラッセラーとやっても
沖縄の人と同じようにはいかない。

もちろん沖縄には沖縄の乗り越えてきた重い歴史があり
決して明るい沖縄の県民性をヤユしてる訳ではなく

沖縄の人の前でライブやって
盛り上がる沖縄の人を見る度に
むしろ津軽の『じょぱり』な気質を
自分なんかは感じてしまったりするんです。

同じように祭りがありそして
それぞれに乗り越えてきた歴史がある。
なのにこの違いはなんだろう?その違いに見え隠れするものとはなんだろう?と。

思うに津軽の明るさやユーモア精神とは
常に黙々と雪道を歩くように生きてきたものの上にあり
だからこそある種の重さがある。

決して洗練されない都会化されない
その重さこそが『津軽気質』だったんですね。

人によってはめんどくさがられたり
お前一体どっちなの?って言われがちな気質だと思う。

沖縄の人を羨ましいって書いたけど
僕は離れた今も津軽のそんな人間が愛おしい。

僕自身に限って言えば
どうやったって体の中にあるその気質を
生かすも殺すも自分次第。

青森は離れてみるとどんな場所?

なんだかまた
自分解体新書
になっちゃったなー

自己分析はほどほどに
青森考 これにて終了。