ポカスカジャンを始める
直前まで在籍していた
ロックバンドがありました。

メンバーの内一人は
中学生からの友達。

他も二十歳の頃に
知り合った仲間で作った
六人組のグループ。

最初は酷いもんだった。
まず本番中楽器を代える。

ボーカル二人もいるのに
他のメンバーが歌ってた。

俺は立ってドラム叩いてた。
立ちドラム!とか言ってた。

もう一人のボーカル川畑は
全く鍵盤弾けないのに
キーボードやるって言い出す。

ライブ当日すんげぇ小さい
カシオトーン持ってきて
指一本でしか弾けないのに
頭グラングラン陶酔してた。

この二人がメインボーカル。
歌えっ!つーんだよね。

今でこそ笑って話せるけど
当時は客席シーンもいいとこ。

楽器チェンジ中も
MCは当然なしだから
これまた客席シーン。

どうしていいか分からないなら
それを素直に出せばいいものを
そんな勇気はないからまぁ寒い。

たまに話すことと言えば
精一杯背伸びした
社会的問題意識。

戦後民主主義のこと
アメリカ侵略支配のこと
日本民族の成り立ちのこと
ひいては天皇制のこと…

どれもこれも見識なく話すから
自分で言ってて訳が分かってない。

まぁ内容ないのに
格好ばっか付けようと
してたんですね。

とにかくもーね
めちゃシーンなの。

あー今
思い出しただけで
鳥肌が…。

なのでっていうかその後
図書館通いを始めたりして
『橋のない川』読んだり。

図書館行くより
MC考えろよ!
って話しだけど
ほんと人気なかったすよ。

そりゃそうだよね。
めちゃシーンライブ
人気出る訳がない。

客と言えばカミさんか
バイト先の仲間だけで
チケットノルマは30枚だから
いつも金払ってライブやってた。

だから客30人
入れるのが夢だった。

観客数一桁ってのを
多分二年は続けてた。

そんな現状の中でいつしか
無茶苦茶やるようになった。

ほとんど客席で歌う
歌うの止めて踊り狂う
マイクスタンドは曲げる
ドラムに突っ込む
頭でシンバル叩いて
額から流血しながら歌う。

マイクの線は絡まるし
ギターはバタバタ倒すし
ステージ上にボーカルいないし
もう自棄もいいとこなの。

そしたら不思議なもんで
急に客が入り始めた。

上々颱風やソウルフラワーユニオン
ザ・ブームやチャンプルーズといった
和モノロックブームもあった。

知らない人が来るようになって
初めてのアンコールに
袖でアタフタしたり。

マネージャーもついて
チャージバック貰って
でも壊した機材弁償したら
結局マイナスだったり。

今では世界的グループだけど
当時まだ八人組くらいだった
渋さ知らずのリーダー不破さんに
スカウトされたこともあった。

ツアーも出て京都の鴨川では
股間に葉っぱ一枚だけ付けて
『俺は縄文人だー!』だって。

そしたら地元の人に
『あそこは人の入る川じゃないよ』って。

確かにジョボジョボ
生活排水流れてた。

川で大声出して遊んだ
その夜のライブは
声ガラガラで大失敗。

広島原爆50周年式典では
原爆ドームの下を流れる
元安川の貸しボートで歌った。

橋の上から黒人の子供が
ノッてくれて嬉しかったなぁ。

主催ライブを企画して
客を二百人呼んだ頃には
レコード会社の人が
見に来るようになってた。

右肩上がりな状況の中で
リーダーの俺はと言うと
バンドの掲げたメッセージ性に
押し潰されそうになっていた。

音楽性も和モノをテーマに
楽曲作りをしていたけれど
閉塞感に苛まれていた。

自分の才能に
限界を感じていた。

そして自分の本音に
気付いていた。

俺は気心の知れた仲間と
楽しく音楽をやりたかった
ただそれだけだった、と。

もう一人のボーカルの川畑が
当時作った曲にこんな一節があった。

♪訳の分からぬ管を通って
小舟と一緒に川へ流れて
大きな海へと辿り着く♪

熱病にうなされるように
話していた政治のことは
訳の分からぬ管だったと
彼は素直に綺麗な歌にした。

あぁいい歌だなぁって思った。
川畑の方がやっぱり
才能あるんだなぁって。

そんないろんな思いの中
ポカスカジャンの
『結成の歌』に繋がり
リーダーでありながら
ザ・コブラツイスターズを
俺は辞めた訳です。

その後バンドは川畑と
ギターの相馬を中心に
新たなメンバーを加え
新たなコンセプトで
見事プロデビューを
果たすことになります。

深夜のマックで一人
デビュー曲を聴いた時は
言葉にならない涙が溢れて
犬のように泣いたっけ。

その歌詞の中にある通り
みんなと別れる時は
本当に滝のような涙が流れた。

4時間くらいずっと
涙止まらなかったんだよなぁ。

先述した曲『甦る人々』も
シングルリリースしたね。

そんな彼らが解散すると
聞いたのが先月のこと。

川畑と久しぶりに二人きり
当時過ごした高円寺で飲む。

アマチュア時代が六年
プロになってから九年。

気付くとプロ時代の方が
活動期間長いんだな。

プロになってからの九年間
相当なドラマがあったろうね。

夢の旅人がヒットした時は
きっと凄かったんだろうな。

メンバー以外には計りしれない
苦労もあったことでしょう。

この世界は本当に
いろんな理由で
皆が辞めていく世界。

だからこそ解散ではなく
活動休止にして欲しかった。

けれど辞めた人間に
彼らの解散について
言えた義理はない。

聞くとバンドとしては
解散ライブはやらないと言う。

元々ソロライブを一緒にと
話していたこともあり
お祭りライブをやろう
って話しになったのは
何杯目の泡盛だったのか。

酔い潰れるまで
飲んだ高円寺の夜
薄れる意識の中で
所謂これが青春の最後の日
ってやつかぁと思った。

それが来月13日の
大塚ウェルカムバック
ライブ開催のいきさつ。

多分当日来てくれるであろう
コブツイファンのみんなや
ポカスカファンのみんなの前で
誰も知らないであろう
当時の歌をやって一体
盛り上がんのかいな。

最後の最後も
シーンライブ
だったりして…。

この期に及んで我ながら
大笑いな企画だけど
まぁサークル乗り全開で
笑って楽しんで頂けたら。

俺はもちろんこれからも
ポカスカジャンとして
人生を歩んで行く
志半ばの芸人であります。

そして彼らもまた
バンドは解散しても
それぞれに未来があり
人生は続いて行く
訳であります。

そんな思いを込めて
ライブタイトルを
『ウェルカム・バック
トゥ・ザ・フューチャー』
としました。

川畑、相馬そして
昔の仲間のみんな

皆の先輩だった
現ポカスカリーダー
のんちん率いる
ブルドックの皆さん

今回のライブに
快く参加して頂き
ありがとう。

あの日あの時
歌と夢を
ありがとう。

青春を
ありがとう。

最後の幕引きを
やらせてくれて
ありがとう。

裏切り者の俺を
許してくれて
ありがとう。

15年間本当に
お疲れ様でした。

悲しみだけが支配はしない
貴方はきっと甦る。