35の卒園式に出席。
己が心の動きを観察。

人間はその日常に於いて
あらゆる場面で演舞性から
逃れることは出来ない。

新聞配達少年の立ち漕ぎは
急ぐことと正比例して
『立って漕ぐ』という
行為としての演技性は明らか。

手打ちそば職人の流れるような所作もまた
合理性と併せての演舞性が内在している。

コンビニでバイト古株の
おねえちゃんのレジ捌きに
気分良くしたことない?

あれってつまりは
芝居入ってるってこと。

この日卒園した4歳児の中にも
既にそういった演技性を垣間見る。

気をつけする子落ち着けない子
返事をする子しない子
話しを聞く子聞かない子。

暴論としての躾とは
演技性を教えること。

所作とはつまり心である
の純粋な意味での反意語。

卒園する我が子に涙する父兄を他所に
日常に介在する演技性に心奪われ。

ちなみに35の演技性
12人の卒園児中
…残念ながら最下位。

卒園証書読んでる最中に覗き込む。
園長先生まだ読んでる途中だっつ~の!
更には足掻いたりお尻触ったり。

帰宅後
『お前全然ダメな
シュンシュンなんか
すげぇよかったな』

したら本人
意外に凹んでた。

俺の子供だから
しかたないっちゃあない。