ご訪問頂きありがとうございます。


目に見えている小さな世界と、見え

ていない大きな世界。

目には見えていない大きな世界を捉

えれそうで捉えきれない。そんなも

どかしさの中で、

「まだまだわかってないなぁ」

と自分自身を振り返る。


できなかったことができるようにな

る喜びはあるけれど、できなかった

過去を振り返って今はできるように

なったと自分を慰めてもしょうがな

い。大宇宙から見てみれば、できよ

うができまいが瑣末な事にすぎませ

ん。


感傷に浸っているわけではありませ

ん。今日、夕方の一時、突然この

世界から一歩下がって、自分の生ま

れてから今までを眺める体験をしま

した。意識がこの世界を囲む膜から

出るのはたまにありますが、人生を

そんな形で眺めるのは初めてでちょ

っと新鮮でした。

時間の流れを見ている訳ですが、

現実的な時間はほんの一瞬の時間だ

ったと思います。


家に帰ると猫のトイレ用にもらって

きた古新聞に目がいきました。

古新聞はおもしろいもんで、そこに

書かれている出来事を知っている

場合は「過去」、知らなかった場合

は「現在」となります。

ここでも大宇宙を感じました。

今朝の事だろうが1ヶ月前の事だろ

うが違いはないよな、と。

それを認識した時のわたしの状態に

よって世界は変わります。

(ちなみに今日目にしたのは大手企業の賃上げ

の記事でしたので、知っている「過去」を記

した新聞でした(笑))


で、何が言いたいかというと、意識

は生命と共にあるという事です。

時間はあまり関係なくって、生まれ

てから現在まで、そして死ぬまで

わたしの意識に変わりはありません。

意識は生命と共にあって、生命エネ

ルギーも共にある。

「創造主」というのはそういう事か、

と。個としての生命は個としての

創造を司り、全としての生命は全と

しての創造を司る。

だから個として生命を授かった瞬間

から、何をどんな風にして生きても

「そういう創造」として全肯定でき

るし、だから自分の意識とエネルギ

ー次第なんだな、と思いました。


ただ、どんな創造でも肯定されるか

らこそ、すべての責任を与えられて

いるのだから自己責任で、しっかり

「道」を見つけて歩んでいきたいも

のです。


ちょっとまとめ切れず伝わりにくい

文章にしかできませんでしたm(_ _)m


何を創ってもいい、とは自分自身が

問われているという事です。

「生命あるもの」

としての自覚を持って創っていきま

す。


今日もお読み頂きありがとうございま

したm(_ _)m