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出来たか出来なかったか。肯定か

否定か。そうした二元の意識構造

を変換していくために、観察した

り、自我を下げたり、という実践

を行っているはずなのに、その事

自体を出来たか、出来なかったか

で観ている自分がいて、ダメだこ

りゃ、と、否定の無限ループに捕

まっている意識があります。


きちんと観察ができているか否か。

自我を下げられたか否か。

二元の振り分けとジャッジが構造

のありようとその強固さをまざまざ

と見せてくれます。


窮屈な型に自ら嵌まりにいっている

よなと思います。なんか窮屈で、

思考を追えばそれは言い訳に着地す

る。


真に律するのは律そうとする思考を

手離した時。真に出来るのは出かそ

うという思考を手離した時。

ただやるんだよ、そこに気づけよ、

と聞こえてくる。

もうそろそろ気づきなさいよ、と聞

こえてくる。


出来なくて良い訳ではないけれど、

出来る出来ないにかかずらわらな

い。ここが難しい所です。


一回、「學んだと思う事」を全部

ぶん投げてみる。そうすると

「何も學べていない」事がわかるか

ら。その時、真の學びが始まる。


というメッセージ。厳しいね~。

でもやるしかないんです。

「~なければならない」に雁字搦め

にしているのは他ならぬ自分です。

解放できるのも自分しかいません。


二元構造の意識では世界は暗い。

一元構造の意識では世界は明るい。



無為自然をとことん、とことん考え

て、その考えを手離した時、

無為自然を悟ります。

一事が万事、そんな感じ。



「幻想をぶん投げる」


足し算より引き算。

そろそろ全部手離していきましょう。



今日もお読み頂きありがとうございま

したm(_ _)m