10年ひと昔とも言いますように10年経てば世の中も変わるし人も変わるし環境も変わる。
羽生くんの名前が世界に轟いたのが2014年2月のソチオリンピックですね。
ライトファンの私でも良く覚えていますよ。パリ散で鮮烈な印象を残してロミジュリで金メダル🥇を決めた若き天才スケーター。なんか可愛いぞ、でもまだお子様の印象で私は落ちなかったのよねぇ。スケートに詳しかったら羽生くんの凄さももっと理解できたんだろうけどミーハーな見方ですから結果と見た目オンリー😆
手足長くて顔小さいけど子供にしか見えなかったんだよなぁ。多分細い印象過ぎて😂
そんな歴史的な金メダルが決まった日、忘れもしない事件が我が家に起こりました。過去記事に詳しくかいてますけど息子がバイク事故で重症を負うというね😆
ウチにとっても歴史的😆😆
とにかく2010年頃から両親の介護で実家に行ったり来たりが始まったのであまりスケートのことは記憶にないんだけどオリンピックだけは観たんですよね。
あの時大怪我した息子ももうすぐパパになります😄
羽生くんも結婚したり離婚したり😆
いろんなことがあって当たり前ですね。
10年の間に私の両親夫の母も亡くなり面倒を見ていた伯母も見送りました。一気に世代交代が進んだ10年でした。
ソチから平昌までの4年間はほぼ記憶にないくらい忙しくて両親の入院と息子の入院と重なり認知症の母の介護問題も含めていやはや苦労した😥
特に母は車を運転していたので免許を返納させることに1番苦労しました。田舎あるあるですわ。車がないと本当に困るんだけどいつ事故を起こしても不思議ではない状況を知らん顔なんて出来るはずもなく。あの手この手でらちあかず警察に相談もしてほとんど強制的に免許を取りあげました。このやり方は流石に両親に恨まれました😂でもどんなに恨まれても他人を巻き込む事故を起こすよりはマシだと耐えるしかなかったですよ。
母が車を運転していたことも車を持っていたことも忘れるまで半年くらいでしたかね。父は認知症のことをなかなか理解してくれず非協力的だったんだけどさすがに母の言動が著しく理解不能になってからやっと協力してくれるようになったんですけどそこから半月ほどで亡くなりました。その頃の父の様子を思い出すと胸が痛みます。認知症の問題は人それぞれで本当に難しくて正解も無数にあると思います。当人の人格とかまで変えてしまう瞬間も有ります。でもやはり本人が1番辛いだろうと思います。何もわかっていないなんてことは絶対に無いんですよ。そのことを忘れてはいけないと思いますね。
おっと、ソチを思い出すとどうしても連動して家族のあれこれを思い出してしまう😅
平昌の時はフィギュアが始まった瞬間息子の事故を思い出しました。冬のオリンピックのたびに事故のことを思い出すんだわこれからも😂