ごんぎつねを読めない子供たち、ごんぎつねの中で、兵十の母親の葬儀の準備のシーンで、村の女たちが大きな鍋で何かをしていた、これはゴンから見ての描写なのだが、常識的に考えたら、参列者に振る舞う料理を作っているのである

 

 

 

子供達に、大きな鍋で何をしているのかと問うと、子供達は、兵十の母親の死体を煮てるとか、消毒していると言うのだ

 

 

 

小学校4年生の教科書にある、戦争文学の『一つの花』でも同じだ、概要は、幼いゆみ子の口癖は「一つだけ頂戴」だ、そう言うと食べ物が貰えるからだ、戦争に行く父親の見送りで「一つだけ頂戴」と言い続け、父親のおにぎりを全て食べてしまった、父親はもうあげるものがないゆみ子に、ゴミ捨て場に咲いていたコスモスを一輪渡すのだ、戦争は終わり父親は帰らなかったが、ゆみ子の家の庭にはコスモスがたくさん咲く、の話だ

 

 

 

子供達に、ゴミ捨て場のコスモスを一輪渡した父親の心情を聞いたら、子供達は、父親は怒ったから嫌がらせで汚いコスモスを渡した、と言う

 

 

 

読解力の低下の議論は、文科省でも問題視されており、PISAの調査では、小学校のクラスのうち2人3人くらいしか、教科書を正確に読むことが出来ないとされている

 

 

 

教育現場では、子供達の思考力の低下を読解力だけでは解決しないと見ているのだ、活字離れや読解力がないことを問題視しているが、それだけでなく、他の教科や日常でも同じような問題が起こっているという

 

 

 

 

理科で、生態系を勉強しても命の重さが理解できない、生活指導でクラスメイトに「死ね」と言ってはいけないことを説明しても理解できない、引きこもりや高校中退も含め、自分が学校に行けない理由が自分で説明できない、言葉の欠如によって自分自身も理解できないのだ、だから、親も周りも助けることが出来ない