便利な生活は誰かの犠牲の上に成り立つ
私たちが普段生活で使っているものは、どこで誰が生産し、社会や環境にどんな負担をかけているのか、立ち止まって考える必要がある
先進国の快適な社会は、途上国の貧しい人々や地球環境の犠牲の上に成り立っているのだ
先進国の寄付(要らなくなった服や靴を送ること)その善意が、その国の産業を破壊し、現地の人たちに迷惑をかけているのだ
アフリカは、自国の産業が育たないので、先進国から送られてくる古着に関税をかけようとしたが、出来なかった、それは行き場のない古着を破棄するのにコストがかかるからだ
ニーズのない寄付はゴミを押し付けているのと同義なのだ
アフリカは先進国から寄付や援助に依存させられ、いつまでも自立できない状態になっている
日本の貧困についても本書は詳しく記してある
日本の貧困は分かりにくい、その理由としてファストファッションなどもあり、生活者の所持品や身なりからの判断することができないからだ
日本の全人口の15.4%が相対的貧困層と言われている、街中を歩いてる6人から7人が貧困なのだ
日本など先進国の貧困は、相対的貧困といい、生活水準や文化水準から比較して貧しい人たちのことを指す
具体的には、等価可処分所得の中央値の半分以下を定義している、相対的貧困は行き過ぎた格差が原因である、アフリカなど発展途上国の絶対的貧困と先進国の相対的貧困は分けて考える必要があるのだ
筆者はいう、日本では自己責任論が蔓延しており、経済的に貧しいことを恥ずかしく思い、当事者が声を上げにくい社会なのだ
例えば、貧困者が外食をしていたり、趣味にお金を使っているだけで、バッシングが起こる、外からは見えにくいのに、見えてくるとバッシングに繋がるのだ
正規雇用と非正規雇用の賃金格差、学歴と収入にも相関関係、しいては親の年収が高ければ良い教育が受けられるなど、私たちはさまざまなハンデがある、昨今の学歴不要論に対し、もっと虫の目鳥の目になるべきだと
努力論で全てを片付けてはならない、努力できるのは努力できる環境があるのだ、本人の努力だけではどうにもならない事もあるという事を忘れてはならない、生まれた環境で決まってしまうのも事実なのだと
最後に筆者は、世界の問題に関心を持ち続けてほしいという、私たちの未来を脅かすものは無関心であると