観た順番からすると
『マダム・バタフライ』と

逆転しますが、
9月上旬に上演された
二晩だけの贅沢な公演
バレエの『カルミナ・ブラーナ』を
観てきました。




太陽を宮尾俊太郎が踊った
5日の公演。



作品全体の印象は、
うーむ。
ちょっと暗い。



『カルミナ・ブラーナ』には
私自身まったく馴染みがなく、
元が中世ドイツの俗謡集だった
というのは、
今回初めて知ったこと。



音楽としては、
冒頭と最後の
「おお、フォルトゥナ」のフレーズしか
聞いた覚えがなかったです。



なので、
舞台を見ながら、
ソリストや大合唱団が歌い上げる
外国語の歌詞を聴きながら、
「なんで字幕がないんだろう」と
ずっと思ってました。



たぶん歌詞はドイツ語か
もしかしたらラテン語の部分も
あったりしたのかな。
英語ではなかったはず。
たとえ英語だったとしても、
原語で歌われてしまうと
意味が全くわからないので、
今ひとつ、作品への理解力が
目減りする。



公演後、
プログラムを繰って歌詞を読んで、
ようやく
「そーゆーことを言ってたのね」と
腑に落ちたけど、
出来れば鑑賞と同時進行で
歌詞の内容を理解したかったので、
やはり字幕は欲しかった。



あれ?
まさかオーチャードホールには
字幕機構がなかったっけ?



なければ、是非つけて下さい。
いまどき、
日本の芸能である地唄や
文楽の浄瑠璃さえ
字幕を出しますよ。




日本語でも耳慣れないフレーズは
聞き落とし、
せっかくの内容理解の障壁に
なってしまい、
もったいない上に、
分かりにくいものは、
観客を遠ざける。



まあとにかく、
舞台に乗っている人数の
多いこと!



そもそもが
合唱を前提とした歌曲なので
当然といえば当然ですが。



舞台進行上、
ステージマネージャーの
腕の見せ所。
子供合唱団もいたのに
整然と「交通整理」され、
気が散ることなく
舞台を鑑賞できました。



ところで
肝心のバレエですが、
振付は個性的でした。
特に
女神である母と、
悪魔と恋に落ちて出来た息子との
絡みの冒頭と最後の場面。



この楽曲の世界観と
うまくシンクロさせているなと
感じました。



この楽曲に限りませんが、
プログラムに載っていた
熊川氏の対談相手、
評論家の三浦雅士氏も指摘したとおり、
熊川氏には
音楽に対する特別な感覚の持ち主だと
私も思いました。



『完璧という領域』の中に
出てくる、
音楽のカウントの割り方のくだり。
「六六六から五七六に変えた途端、
振付が綺麗にはまった」のあたり。



音楽の流れと
体の動きを自然に乗せる、
それが振付作業に他ならず、
でもどうしても
うまくハマらない。



そこで、
音楽を何度も聴き込んでいった結果、
カウントの割り方を変えれば
解決できるに至った、と。



ほほう。



三浦氏は、
その「発見」自体より、
才能ある振付家が無意識に
やっていることを、
熊川氏が言葉でもって
説明していることに驚いていて
面白い。



また、
この対談の中で
「見る者の視覚と聴覚に訴えて
作品世界に導き入れることが
できるかどうかが、
振付者の力量のすべて」と
熊川氏は言い切っているけれど、
確かにそこを目指したことは、
全編の振付を見て
納得しました。



プログラムを買いに行ったわけ
ではありませんが(笑)、
「バレエ芸術を語る」と題した
この対談、
熊川氏のバレエ観、バレエ論が
巧みに引き出され、
望外の読み応えでした。



けど、
この対談のページだけ、
えらい良いツヤ紙を使っていて、
そんなとこにお金かけず、
もう少しプログラム代を
安くしてくれればいいのにー、
な〜んてセコイことを
考えたりしたのは、
私だけ〜!?
笑笑



正味1時間の上演時間。
楽曲からストーリーを膨らませ、
肉体表現に落とし込む作業は
凡人には計り知れない苦闘が
あったことでしょう。



観る側が、
発散できる、
あるいは
夢の世界、ファンタジーの世界に
心を遊ばせられる作品でもないですが、
熊川氏にとっても
Kバレエカンパニーにとっても
エポック・メイキングな
作品であることは間違いありません。



この公演は、
Bunkamura30周年記念企画として
製作されたそうです。
合点!



それと、
歌のソリスト、
ソプラノの今井実希氏、
すごい上手かった。
鹿皮(キョン)のような滑らかで
しっとり感のある歌声。



ここ何年も
オペラ歌手のリサイタルに
行ってないし、
チェックもしてなかったけど、
日本人でも
声量も表現力も兼ね備えた
若い歌い手さんが出てきているようで
なんだか安心しました。



音楽性に強いこだわりを持つ
熊川氏だからこそ
選んだ人材だったのでしょう。