こんばんは。
大変ご無沙汰しております。
もうすぐ2月も終わりですね。
私にとってこの2月というのは、色々と思い入れがある時期です。
過去のこの寒い時期に人生が一変してしまったような闘病の経験をしたからです。
重症肺炎での過酷な闘病と、リハビリの長い入院生活を送り、私の人生は良くも悪くも大きく変わりました。
「(私)さんは寒い時に入院して、寒い時に退院されましたね」
退院して外来通院をしていた時に、主治医の先生が私の長い経過を振り返ってよく口にしていた言葉です。
当時は本当に大変で色々なことがあったけど、そんなことも随分前のことになりました。
泣いて笑って過ごした入院生活が懐かしい。
この2月が終わると、両足が下垂足になって8年目に入ることになります。
今も足の状態は変わらずです。
痺れと痛みがありますし、背屈出来ないままで、いつもペタペタと音を立てながら歩いています。
私の両足が下垂足になった原因は腓骨神経麻痺で、集中治療室で過ごしていた時の下肢の不良肢位によるものです。
人は意識が無かったりして脱力した状態で横になると下肢は膝が外側に倒れて外旋した状態になります。
膝が外側に倒れた状態になると、大腿の後ろから脛に回って走る腓骨神経が圧迫されて麻痺を引き起こす
意識がない場合や安静を必要とする治療が行われる時に、この下肢の外旋という不良肢位を防ぐということは治療・看護の上で注意点として大切なことです。
でも私は当時重症肺炎でショック状態にあり、意識もなく命が危ぶまれる状況でECMO治療や手術を受けていました。
だから治療やケアは救命の方が優先されただろうし、命が関わらないところにまで手が回らない
様々な医療機器やカテーテルが身体に繋がれた状態では、おそらく体位変換や下肢を動かすこともままならなかったのだろうと思います。
自分が看護師で救急の場で働いた経験もありますし、そのような状況は想像できるし理解もできる
命を救おうと尽力して下さったことは事実ですし、おかげで命はとりとめ、回復することが出来ました。
その経過で後遺症が残ったとしてもそこは仕方がないと受け入れています。
ですが、やはり現実というのはとても不自由で、時に辛く悲しいことです。
でもあれから8年という月日が流れ...
時間の流れや日常生活の繰り返しによって、私の足の不自由は私にとっての当たり前になりつつあります。
足は不自由になったけれど、ゆっくり歩いて工夫をしながら生活する。
これが私の運命なのだなと、今では少しそう思えるようになりました。
それに今となっては普通の歩く感覚や走る感覚は忘れてしまいました。
たまに「よし、走ってみよう!」と駆け出してみようとするのですが、どうしても出来ない
端からみたら、何をやっているんだ?という感じ。
脳で命令したことが足まで辿りつかない、やはり神経が足の途中で絶えているのだなと実感するのだ
でも、「やっぱり無理か」と思っても、そこまで落ち込まない自分がいるから不思議です。
少し前まではそういうことには意地になっていた自分がいました。
でも出来ないことがあって、もどかしいくらいがちょうどいいのかもしれない
人は欲張りなもので、ちゃんとしているとか完全を求めてしまうから。
特に私は良くも悪くも完璧主義なところがあり、何事も無理をする傾向にある
だから神様が私をこういう運命に導いたのかもしれないなと思ったりする
今は元通りとか、そこまで求めていない
ゆっくりでも歩くことが出来ればいい
でもやっぱり下垂足のこの足が辛くなる時もある
そんな時には自分自身を励まして、ただひたすらに前を向いて歩いていこうと思います。
こんな足であるからこそ、歩くことは私のとって大きなテーマとなった
まるで生きることを表しているかのよう
まだおそらく続くであろう自分の人生には、自分で歩いた軌跡を残したい
今歩くことが出来るという幸せを大切に
これからも焦らずゆっくり歩いていこうと思います