メタボの父親は4年前、癌で死んだ。
最初に癌が見つかってから15年ほどたっていたので
家族も覚悟はできていた。
父親と息子(メタボは次男)の会話は一般的に少ない。
メタボは父親が商売しているお店の上に住んでいたので
毎日顔を合わしていた。
2度目の手術を終え、リハビリも終わり、仕事を再開した時のことである。
メタボ 「身体の調子はどうだ?」
父親 「まぁええ。でもな病院にはもう行かん。」
メタボ 「なんでだ?」
父親 「飯のおかわりができん。」
メタボ 「病人がおかわりすんなよ!」
この時はちょっとした笑い話のように思っていた。
父の葬儀が終わり、火葬場から葬儀場に戻り
親族のみで四十九日が行われた。
母親 「医者からは入院を勧められてたけど
本人がどうしてもいやだと言って最期まで家で過ごしました。」
「前日まで仕事をし、朝起こしに行ったら冷たくなっていたという
うらやましいぐらい幸せな死に方でした。」
メタボは知っている、父親が最期の入院を嫌がった理由を。
数日、長くても数ヶ月の延命よりも、飯のおかわりを選んだのだ。
事実、死ぬ前日の晩ごはん、茶碗半膳のおかわりをしていた