事あるごとに書いているが、小生の憧れは健さんだ。
「自分は……、自分です」
あれ? これは渡哲也だったか……、もとい。
「自分、不器用ですから……」
どちらかと言えば小生、恐らくは器用な方だとは思うが、それはこの際どうでもいい。言葉は少なく背中で語る。雰囲気を纏い存在感を出す。やはり男というもの、こうありたいと思う。そう、実は小生、常々そんなことを思ってはいるのだ。が、どうもうまく行かない。大体が沈黙に弱いタイプだから、場が静かになってしまうことに耐えられない。沈黙に包まれる兆しが見えると、途端に何とかしなければと使命感が湧いてしまう。加えて、元来の貧乏性が歳を重ねるにつれてより大きくなり、せっかくだから、縁だから、巡り合わせだからなどと適当な理由を並べては、たまたま居合わせた人、例えば新幹線で隣の席に座った人と話し込んでしまうこともあったりする。そんなタチだから、お酒が入ったり、古い仲間と一緒になったり、長年定期健診でお世話になった歯科医院も最後となると、より多弁に、平たく言えばおしゃべりになってしまう。
12月に入り、大阪にいるのも残り1ヶ月を切った。歯科衛生士さんとは、お世話になりましたと切りだしたところから、気がつけば音楽の話で盛りあがってしまったり、またありがたいことに送別会だと、何年かぶりの友人が企画してくれて久しぶりのくだらない話で盛り上がったり、飲み会だと相変わらずの友人と最近の話で盛り上がったり、お店の女の子とは映画やら音楽やら、またまたくだらない話で盛り上がったり……、憧れは健さんだなど、どの口が言ってるんだと自分でツッコミたくなるが、それでもやっぱり思う。目標は健さんだ。
そういえば健さん、確かこんなことも言っていたはずだ。
「泣いたり、笑ったり、憤ったり、感動したり、すべてが出会いから起きてますよね」
そうそう、出会いだ。出会いなのよ。自分にとっても、そのときの相手にとっても、出会ってよかったと思えることが大事なのであって、その機会を逃してはならないと思うのだ。考えてみれば、歯科衛生士さんの仕事を止めてしまっていたとしても、くだらない話ばかりであったとしても、こちらがお客のはずがいつの間にか立場逆転していたかもしれないとしても、こんな風に応えてもらえる、そんな出会いがあったことがうれしいのだ。ですよね? 健さん。
「確かに……、ちょっと手は止まってたかもですけど。いえいえ、ありがとうございます、楽しかったです」
「いやぁ、久々に楽しかったわ~。喋り足らんわ」
「こんなに話す人がいるとは思わなくって……、楽しかったです」
言葉少なくとはいかないが……。