コーヒーを飲んでいて、ふと斜め向かいの席に座った女性が気になった。30過ぎくらいのキレイな顔立ちの女性だ。ショートボブで前髪はパッツン。いわゆる小生お好みの髪型も似合っていて悪くない。スーツのフラワーホールには何かしらのバッジが付いているから、それなりの会社に勤めるキャリアウーマンといったところか。組まれた脚もスラッとしていて見るからにカッコいい。そんなわけだから、思わずチラチラと目が行ってしまう。

 困ったものだと世の女性陣には言われてしまうかもしれないが、要するに男としてのサガには逆らえないというものだから温かい目で見ていただけるとありがたい。と言いつつ、時々目が合ったりすると何かしらうれしい。内心ではどう思われているかは判らないものの、その目に何となく笑みが混じっていたりすると、ちょっとドキドキしてしまい、思わずヒートアップしたりしてしまうのだ。

(ほら、あの目)

 気がつけば読んでいた箇所も見失い、このセンテンスもすでに三度目だ。

”男ってのは一人でいるとおとなしいけれど、二人以上集まると途端に悪だくみをはじめるの……”

(そうそう、ボクはただいま一人よ。だれも連れはいないから何するわけでもないのよ、ボクは)

 と思いつつ、その先に目をやると次のフレーズはちょっと深い。

”女はね、一人で悪いことを考えるものよ。二人以上になると牽制し合って、おしとやかなフリをするの。裏では牙を剥きあいながらね”

(う~ん、くわばらくわばら……)

 ま、仕事の合い間のちょっとした楽しみというヤツだ。


 それはそうと彼女、運ばれてきたトーストの食べ方が実に優雅だ。半分にカットされたトーストをさらに一口大にていねいにちぎりつつ、口へ運んでいる。決して大きな口を開けたりしない。

「女の子はね、大きな口を開けてかぶりつくような食べ方をしちゃダメよ」

 そんなお母さん、いやママのいる家庭に育ったのかもしれない。とかく食べる時のマナー、仕草というのは育った家庭の様子が垣間見えてしまったりするものだから、この辺り小さなお子さんを持つ若い親御さんや、これから親になろうとする若い人たちには覚えておいてもらいたいものだ。時々、肘をつきながらだったり、場合によっては片方の肘を組んだ脚に乗せたまま背中を丸めて料理を口に運んだりしているええ歳した大人を見かけたりするが、これは明らかにカッコ悪い。かと言って、今さら「左手出しなさい! お皿持ちなさい! 背筋伸ばしなさい!」などと注意したところで、何、このオッサン? と思われるのがオチであって、長年の習慣は省みられることなく、彼や彼女はこの先もカッコ悪いまま続いていくだろう。そうなっては遅いのよ、お母さん方、小さい頃の躾が大事なのよ!

 さてさて、そんなことを思っている間にも彼女の食事は進んでいく。ちぎっては投げ……、いやちぎっては食べ、ちぎっては食べ、トーストの身というか白い部分は少しずつ口に運ばれ、咀嚼され、胃に収められていく。パンの耳は後からのお楽しみということだろうか、きれいに耳だけが残されていく。

 そう、これも付け加えておきましょう。好きなものを最後に食べるように躾ければ、子どもたちも嫌いなものを残すことは少なくなりますよ、お母さん方。ちなみにボクもそうしてきたんですよ……、ってちょっと待てお姉さん。席を立つのか? えっ、そのパンの耳はどうするんだ、ほかすの? おぉ~、なんてことだ。昔々、学生の頃、なけなしの千円札で一発逆転を狙って入ったパチンコ屋であえなく撃沈し、その後バイト代が入るまでの一週間、パンの耳だけで過ごした経験のある小生にとってはパンの耳に対する思い入れが強いんだ、と心の中で叫んだところで残念ながら届かない。パンの耳が残されたお皿はそのまま下げられて行ってしまう。う~ん、贔屓目に見過ぎたか、最初の印象が悪くなかっただけに、お姉さん、残念だ。

 ただ、まあ考えてみると、昔はパンの耳だけを詰め込んだ50cmくらいの袋が40円そこそこの値段で普通にそこらのスーパーで売っていたものだが、すっかり見かけなくなって久しい。まあ今どき売られていても買う人もいないだろうし、そういう小生自身も買うことはないだろうし、少なくともこの30数年で世間の情勢も変わったということなんだろう。けど、パンの耳、なんか切ないなぁ。