実は近頃、他人には落書き帳にしか見えないであろう相変わらずのネタ帳の減りが早い。一冊の手帳を終えるのに、本当に二週間かかっていなかったりする。

 と言っても、書き上がっているというわけでなく、どちらかと言えば塗り潰されているほうが多くなってしまっている。かなり書き進めた後日、改めて読み返して考えが変わり、まとめて数ページに×印を付け、また書き直しては、またまた×印を付けと。『ノートはきれいに使いましょう』『モノを大事にしましょう』など、努力目標を定めて、教室に貼り出し、みんなで頑張っている小学生や小学校の先生には見せられない、いや教育上見せてはいけない状態だ。

 思えば、当雑記もかなりの量になってきている。別途保存しているテキストファイルの行数を数えると、1行80文字で2万行を超えている状態だ。まあ、曲がりなりにもこうして積み重ねていると不思議なもので、自分で言うのもなんだが、それなりには文章のクオリティが上がってきているような気がしている。近頃のボルダリングも結構楽になり、大阪マラソンに向けたトレーニングのペースも上がってきているように、千里の道も一歩から、ローマは一日にして成らず、一日一歩三日で三歩、三歩進んで二歩下がるといった感じだ。そして、そのクオリティが上がるにつれ、ボツが増えてくる……。

 そう、ボツだ。ボツは没と書く。

 はて、この言葉を知ったのは、いつのことだろうか?

 ラジオっ子だった小生、いや正確に言えば、今でもラジオばかりであることを思えば、ラジオっ子な小生、小学6年生のころには、すでにラジオフリークだったものだ。当時の番組名はすでに忘れてしまっているが、何かしらのお題に対して、聴取者が投稿し、番組内で披露されるというものだったはずだ。今でこそ、インターネットを使えば、出題されたお題に対して、キーボードを叩けば、すぐさま投稿でき、スマートホンを使っている人たちなら、外出先でも即対応できるが、当時はFAXもない時代だ。一週間後の放送に向け、精一杯の気持ちを込めて、一枚のハガキに思いを託すのだ。

「いつも聴いてます!」「○○がとても面白かったです!」

 なんとか、DJさんの目に留まろうと、お題への答えだけでなく、ヨイショも忘れない。我ながら、ませた子どもだったと思う。とはいえ、ラジオから、ボツの声が続くのを聴いていると、一週間の思いも揺らいできて、自分に問いかけてしまう。

(ほんまに、おもろいか? 酸いも甘いも知らないお子ちゃまが、DJさんやリスナーさんを唸らせる作品になってるか?)

 ……

 近頃は、そんな状況だ。まあ、とはいえ、元々モノを書く練習のつもりで始めた当雑記だ。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというのでは意味がない。

 というわけで、当雑記に上がるペースも必然的に落ちていることを示しておく。が、きっと言い訳にしか聞こえないかもしれない。

 仕方ない、もう一度示しておこう。

「すんません、言い訳半分入ってます、近頃本業も、妄想も、構想中も、トレーニングも、ボルダリングも、その他いろいろ何かと忙しいもので……」