呂蒙子明(りょもうしめい)


生没年 178〜219


15歳の時に姉の旦那の鄧当(孫策配下)の

山越討伐軍にこっそりついて行き

鄧当に叱られ母親にも激怒されるが

「貧乏から抜け出すにはやるしか無いんや!」

母親は呂蒙を心情を哀れみ後の行動を黙認。


何やかんやで孫策に気に入られ取り立てられる。

鄧当の死後は軍を引き継ぐ。


孫策死後も孫権に気に入られ

山越討伐や劉表配下の黄祖との戦い

赤壁の戦いに曹仁との荊州争奪戦

曹操との蘆江や濡須口などでの戦い

関羽から荊州奪還作戦などなど

もうビックリするぐらい活躍する。


関羽を討った後に病死して

(演義では関羽の呪いで死んだ)

孫権をめちゃめちゃ悲しませる。


「士別れて三日なれば

即ち当に刮目して相い待つべし」

「呉下の阿蒙」

「呉下の阿蒙に非らず」

など故事成語がたくさん伝わっている。


知勇兼備・剛毅果断・公正無私の人。

君主・孫権や同僚のちょっと面倒臭い関係も

誠心誠意で取りまとめる有能バランサー。


初めて呂蒙を認識したのは人形劇三国志の

白髪で陰険・陰湿な「マジムカつくジジイ呂蒙」

その後は演義系の「関羽騙し討ち呪われ死呂蒙」

から正史の「無学から脱却系ナイスガイ呂蒙」

僕らに変な情報を流したNHKの罪は重いぞ。


演義系しか知らない人も

本当の「呂蒙子明」を知って欲しい。


|・ω・)ではまた!