沮授(そじゅ)


生没年 ???〜200

「袁紹軍グダグダ参謀軍団」の1人。

若くして大志を抱き冀州で県令など歴任。

韓馥が冀州を有すると韓馥に仕える。

韓馥が袁紹の策略による公孫瓚の脅しや
家臣の袁紹軍への出奔などでビビってしまい
袁紹へ冀州譲渡を決断するとこれに猛反対。
結局は譲渡してしまい袁紹の家臣になる。

袁紹の下では冀青幽并の四州平定統治を
提案して軍の総司令官に就任する
そして官渡の戦い前年の199年にほぼ平定。

しかし郭図などの讒言や袁紹の猜疑心で
総司令官から一方面の司令官に降格。

官渡に戦いでは郭図や審配の
短期決戦論が支持され
沮授や田豊の持久戦論は受け入れられず
その他の献策も却下。

袁紹軍は大敗し逃げ遅れ生捕りにされる
古くからの知人でもある曹操の
「ワシの家臣にならないか?」を拒み
逃亡して捕まり処刑されちゃう。

演義系の物語でもほぼ同じ
ちょっと違うのは死を惜しんだ曹操が
「忠烈沮君之墓」と刻まれた墓を建てた事。
(本当に建てたかも知れないね)

「袁紹軍グダグダ参謀軍団」の中では
最も有能なのではないでしょうか
僕が君主なら田豊・郭図・審配・逢紀とか
顔を見るのも嫌だな(ホント嫌だ)

|・ω・)ではまた!