昨日の聖餐会でお話しした内容を覚書として残します。

テーマ「私は会員宣教師です」 

私が初めて教会を知ったのは高校生の時でした。
あれからもう44年くらい経ちます。
親の反対もあってレッスンを受けることもできず、いつのまにか教会から足が遠のくようになりました。

バプテスマを受けるまでの6年間。
教会員になってからも、10年以上お休みしていた期間。
神様から遠く離れていた時期もありました。

でも今私がここにいられるのはどうしてだと思いますか?

私が離れていた時も、ずっと教会に集っていた友達がいました。
教会に行きたくても、敷居が高くてとても無理だと思っていた私の背中を押してくれた友達。
私が教会に戻った時、温かく迎えたくれた兄弟姉妹がいました。
1人で座っていると誰かが隣に座ってくれました。
悩んでいる時に話を聞いてくれたり、模範を通して導いてくれた兄弟姉妹たち。

私が神様を忘れていても、神様は私の事を憶えていてくださって、兄弟姉妹たちを通して「私はここにいる」と教えてくださいました。

ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう語っています。

「兄弟姉妹の皆さん,わたしには今,望み,祈っていることがあります。それは,……皆さん一人一人に,困っている人,苦しみを抱えて困難な境遇にある人を見つけ,愛の心をもって教会に導く決心をしていただきたいのです。そしてその人たちが,教会員の力強い手と優しい心によって温かく迎えられ,慰められ,支えられ,幸せの道を歩めるようにしてほしいのです。」
     聖徒の道1997年1月号
     「援助の手を差し伸べる」より

まさに私が今まで受けてきたことです。
私を助け導き励まし、慰め支え、たくさんのキリストのような愛を示して下さった一人一人に本当に感謝しています。

イエス様は地上での働きを終えようとする時、ペテロに言いました。
「あなたが立ち直ったときには,兄弟たちを力づけてやりなさい。」 と。

私も皆さんのようにキリストのような愛を他の人に分かち合えるようになりたいです。

ダリン・H・オークス管長はこう言いました。

回復された教会に加えられた重要な教義に関する教えのように,通常,わたしたちが関心のあることと,ほかの人々が関心を持っていることは異なっています。概してほかの人々は,教義ではなく,教義のもたらす結果を知りたがるのです。イエス・キリストの回復された福音がわたしたちの生活に及ぼす影響を見たり経験したりするときに,人々は,御霊を感じ,教義に関心を持つようになります。

福音を分かち合うことは,重荷ではなく,喜びです。わたしたちが「会員伝道活動」と呼ぶものは,プログラムではなく,愛の姿勢であり,周りの人々を助けようと手を差し伸べるものです。また,救い主の回復された福音を自分はどう感じているかについて証する機会です。
   「回復された福音を分かち合う」

           2016年10月総大会より

もう一つ、会員宣教師についてのネルソン大管長の言葉を読みます。

信者の模範とな〔る〕」というパウロの勧めは,会員にも同様に当てはまります。ほとんどの会員は伝道に出たことも,今後出ることもないかもしれません。しかし,全員が会員宣教師となることができます。

イエス・キリストを信じる,模範となる信者は皆,有能な会員宣教師となれます。会員と専任宣教師が力を合わせることで大切な友人や近所の人たちに福音の祝福をもたらすことができます。友人の多くは,約束どおり今集められているイスラエルの一員です。これらのことは皆,主の再臨への備えの一部です。主は,わたしたちが心から信者の模範となることを望んでおられます。
        2010年10月総大会
         「信者の模範になりなさい」より

「全ての会員は宣教師である」という有名な言葉は皆さんご存知だと思います。
キンボール大管長はこう言っています。

「わたしたちに強く求められている重要な責任があります。それは暗闇を抜け,喜びと平安と福音の真理へ通じる道を照らし,理解の目を開いてくれるメッセージを,この世の人々に伝えることです。善を行うことに疲れてはなりません。今こそ次のように,自分自身に問い直してみるときではないでしょうか。世の人々に福音を伝える御業を進めるために,自分には何ができるだろうか。」

「全力を尽くす」『聖徒の道』1983年6月号」より

オークス管長は祈ることの大切さについてこう言いました。

わたしたちは,ほかの人に福音を分かち合うために,それぞれの状況において自分には何ができるか,霊感を求めて祈ることができます。これは,宣教師のために祈ることや,ほかの人々ができる事柄について祈るのとは異なります。自分には何ができるかを祈るのです。祈るときに忘れてならないのは,この種の霊感を求めた祈りは,聖文で「誠心誠意」あるいは「十分に固い決意」と呼ばれる決意が伴っているならば,こたえられる,ということです。受けた霊感に基づいて行動するという決意をもって祈り,だれかに福音について話すように霊感を受けたら実行すると,主に約束してください。
  「回復された福音を分かち合う」

           2016年10月総大会より

今日のお話の機会に感謝しています。
どれほどたくさんの愛や助けをいただいたかを思い起こす事が出来ました。
教会での聖餐会が再開されたことに感謝しています。
聖餐を受けられる祝福に感謝しています。
先週久しぶりに教会にきて、すごく温かい気持ちを感じました。
教会堂はやっぱり特別な場所だと感じました。
そして私は兄弟姉妹たちが大好きなんだなとあらためて思いました。

天のお父様とイエス・キリストが生きていること、聖霊が本当にいる事を知っています。
福音を学べば学ぶほど、自分が神様の子供でどれほど愛されているかを知る事が出来ます。
私たち一人一人に出来ることは小さなことかもしれません。
でもその小さな事が誰かにとってはとても大切な宝物のような経験になる事を知っています。
この福音に感謝し、全部イエス・キリストの御名によってお話し証します。
アーメン。