2013年の5月に、
お風呂で瞑想したときに降りてきたメッセージを
思い出したので再録。
その時の詳しい状況などは、
当時の記事をリブログしてあるのでご参照くださいな。
『たくさんのものが三次元の世界に生まれます。
その中で、
『たくさんのものが三次元の世界に生まれます。
その中で、
この三次元の現世で活躍できたり繁栄したりするものは
ほんの一部。
大部分が
大部分が
”価値が低い”
”使えない”
”要らない”と
ジャッジされてしまうような存在です。
それらは「神への供物」になります。
「現世では使えない」
それらは「神への供物」になります。
「現世では使えない」
と判断されるようなものは、
神の領域に属するのです』
ああ。
と思いました
誰からも注目されないまま抜かれてしまう雑草とか
食べ残される食事とか
もうすぐ干上がってしまう水たまりに生み付けられたカエルの卵とか
はかなくもささやかな存在たちは
神様のものだったんですね
『世界には光が当たる一部があり、光が当たらない大部分がある。
光が当たる部分だけを「良いもの」と思いがちだけれども
光が当たらない多くのものがそれらをささえている。
大いなる可能性として。
全体性を支えるのは
ああ。
と思いました
誰からも注目されないまま抜かれてしまう雑草とか
食べ残される食事とか
もうすぐ干上がってしまう水たまりに生み付けられたカエルの卵とか
はかなくもささやかな存在たちは
神様のものだったんですね
『世界には光が当たる一部があり、光が当たらない大部分がある。
光が当たる部分だけを「良いもの」と思いがちだけれども
光が当たらない多くのものがそれらをささえている。
大いなる可能性として。
全体性を支えるのは
それら光の当たらない大部分のものたち。
現世で活躍しないものたちは
現世で活躍しないものたちは
神への供物として
その大いなる可能性の一部になっていく。』
『「高い-低い」も「未熟-成熟」も
『「高い-低い」も「未熟-成熟」も
多角的に見ることのできる基準。
どちらがより良いということではない。
「低い」というのは大地に近いということ。
マザーガイアにより近いということ。
大地に近いことを
どちらがより良いということではない。
「低い」というのは大地に近いということ。
マザーガイアにより近いということ。
大地に近いことを
悪いことだと誰に言えますか?
未熟も、これからの可能性が大きい、ということ。
のびしろが大きいということ。
これからの可能性が大きいことが
悪いことだと誰に言えますか?』
『高次元なものは父なる天に愛され
低次元なものは母なる大地に愛されます。
どちらでもいいのです。
どちらにせよ愛されるのです。』
『役に立たなくてもいいんです。
たとえば、
芽を出すこともなく
リスに食べられることもなく
腐っていくドングリは
大地を肥やして
次の世代の命のもとの一部となるでしょう。
あなたのやってることが
評価されなくて
役に立たなかったって言われても
どこかでなにかにエネルギーを与えて
循環していくことでしょう。
この世に無駄なものなど何一つないのですから。』
この世に無駄なものなど何一つない。
私の失敗、私の醜態は神への供物となり
神に受け取られて全体性の一部となり
光を支える。
ハレルヤ。
大地を肥やして
次の世代の命のもとの一部となるでしょう。
あなたのやってることが
評価されなくて
役に立たなかったって言われても
どこかでなにかにエネルギーを与えて
循環していくことでしょう。
この世に無駄なものなど何一つないのですから。』
この世に無駄なものなど何一つない。
私の失敗、私の醜態は神への供物となり
神に受け取られて全体性の一部となり
光を支える。
ハレルヤ。