昨日、初の抗がん剤をするために入院した母。

 

2週間入院すると言っていた。

 

なのに、今日、退院ですと!!ガーン

 

何でだ?はてなマーク

 

最初の話だと

 

入院初日は検査やら何やらをして

 

翌日に抗がん剤を打ち、様子を見ながら2週間入院と聞いていた。

 

私もガン専門病院に入院して抗がん剤をしたけど、1週間の入院だったから

 

2週間って長くね?と思っていたんだけど

 

入院初日から抗がん剤を打って、翌日退院だとは驚いた。

 

主治医の先生が母の部屋に来て

 

「僕、この病院に来てまだ1か月で不慣れで、間違っちゃってごめんね。」と言って握手して行ったそう。

 

母は一人暮らしで不安だから

 

「1週間ぐらいは入院させてもらえませんか?」と言ったそうだけど

 

「明日、お迎えに来てもらってください。」と言われたそう。

 

義妹にお迎えに来て欲しいと言ったら、

 

「14時ならいいよ。」と言ったそう。

 

えっ?退院て普通は10時までなのにいいのか・・・?

義妹はなにもしてないのに、なんで14時なんだろう・・・

 

と思ってて

 

朝、夫に

 

「私、あーちゃんの病院に迎えに行ってあげようと思うんだけど。」

 

と言ったら

 

夫が

 

「ダメ、ダメ!!危険だよ。

あの病院に行くのに、踏切だってあるんだから。」真顔

 

と言うので

 

「でも、あそこの踏切は何度も昔に通ったことあるし、あの病院の前も通ったことあるよ。」

 

と言うと

 

「あの病院はもっと遠くに引っ越したんだよ!!

田んぼの中に建ってるんだから!

ダメ!!絶対!!

危ないよ!!」プンプン

 

というので

 

「じゃあ、電車で迎えに行ってあげようかな~。」

 

と言ったら

 

「歩きすぎて、また紫斑が出たらどうするんだよっ!!ムキー

イイんだよ!!E美(義妹)に任せれば!!

ママがそんなことしたら、E美だっていい気持ちしないんじゃない?」

 

と言った。

 

私が母を迎えに行ったら、義妹は喜ぶと思うんだけどな。

母の事嫌ってるし、外に出るの嫌がってるし・・・

 

と思った。

 

でも、また紫斑が出たらいけないし、明日は自分の病院へ行くから

我慢しようと思った。

 

土曜日に夫が連れて行ってくれると言ってくれたし。

 

2週間入院すると言われて、母は冷蔵庫の中の物や野菜などを義妹にあげちゃったらしい。(従妹が言っていた)

 

何かいろいろ買っていってあげようかな。

 

でも、母は抗がん剤の副作用で何も食べられないかな?

 

 

私、手術する前に放射線治療をしながら抗がん剤を飲んでいて

それは髪も抜けないし大した副作用がなかったのね。

 

そして、ステージⅣとわかって

 

肝臓の手術が終わった時に

 

先生から

 

「一年間抗がん剤をやってもらうけど、今までの飲むタイプの抗がん剤と手や足が痺れる抗がん剤、どちらがいい?」と聞かれたの。

 

どうせ、死んじゃうんだから辛い思いをしたくないから軽い方にしようと思って飲む方の抗がん剤を選んだの。

 

身体が痒くなったり、ちょっと気持ち悪くはなったけど

 

ご飯はモリモリ食べられたんだよね。

 

陽に当たると皮膚が黒くなると言われて防備するくらいだったかな・・・

 

その後、リンパに転移してるって言われて、ガンの専門病院に転院したんだけど

 

そこで受けたFOLFOXIRIという抗がん剤は髪の毛は抜けるし、

 

冷蔵庫に手を入れたり冷たいものに触ると、手がピーンと痺れるし

 

冷たいものを食べたり飲んだりすると

 

喉が締まるような感じがしてアイスも食べられなかった(これが一番つらかったかも(笑))

 

3日目ぐらいから、身体が鉛のように重くなって

 

気持ち悪くてご飯食べたくなかったんだよね。

 

あの時、何を食べていたんだろうか・・・?

 

入院してる時、抗がん剤を受けに来てる人がいて

 

「ご飯を食べたくない」と言ったら

 

フルーツ盛に替えてもらってたなぁ

 

もう一人の人はカップラーメンを食べてた。

 

「抗がん剤をやる前までこういうものは好きじゃなかったけど、打ったらなぜか好物になってる。もう、これしか食べられない。」と言っていたっけ。

 

抗がん剤のせいで白血球の数値が低くて、次の抗がん剤を受けられなくて

 

ジーラスタを打ったら

 

背中から頭がズッキンズッキン痛くて

 

救急車を呼ぼうと思ったほど。笑い泣き

 

で4回目の抗がん剤を打とうとしたら

 

先生に

「もう、抗がん剤はやめましょう。見てください。ガンが見えなくなっちゃったから。

これ以上見えなくなると手術出来なくなるから。」と言われ

 

手術したんだよね。

 

その後は抗がん剤なしだった。

 

 

抗がん剤をした時、Dブログにいろいろ書いてて全部消えちゃったから

 

いろいろ記録していたノートを探して

 

何を食べていたか見てみようと思う。

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる

 

というけれど、

 

ホント、あの辛かった抗がん剤を打った時の大半のことは忘れてるんだよね。

 

 

自分がガンになった時

 

自分でよかった…これが息子や夫や親だったら耐えられないな…と思っていたけれど

 

母ががんになるなんて。

 

しかもガンの王様のすい臓がん。まじかるクラウン

 

 

もっともっと生きて欲しいけど、

 

痛みとかで辛い思いをすることを考えると複雑。

 

今もすごく元気だけど、ガンなんだよね・・・

 

夢ならいいのに

 

と思ってしまう。ショボーン