たまさかです
お盆の間、ご先祖さまに向けて感謝の祈りを捧げました。
そして「みたまはえませ」の言葉を唱えました。
ご先祖さまの魂がますます繁栄しますように。
私の魂が栄えますように。
周りの大切な皆さんの魂が繁栄しますように。
全ての存在が繁栄しますように。
14日の夜、お風呂に入っていたら母方の祖父母が話しかけてきました。
「お母さんは、本当に頑張ったんだよ。
小さな体で一生懸命、家族のために頑張ったんだよ。
けいこちゃん、お母さんの頑張りが想像できる?」
祖父母の言葉に、私はいろんな感情が溢れて泣いてしまいました。
幼い頃から、母が嫌いでした。
「お母さん、大好き」なんて一度も思ったこともありませんでした。
些細なことで恐ろしい顔でいきなり怒る💢。
「バカ!なんばしよっとか!バカはま!(ばかわま)」
自己肯定感なんて育つはずがありません。
自分も母親になって、絶対母のような親にはなりたくないとずっと思ってきました。
娘は
「ママとばあちゃんは全然違う。」
と言います。
甘やかしたのではありませんが、感情的に怒ることはしませんでした。
娘は芯のある、人の心がよくわかる大人に育ちました。
数年前、母が大病をして一人暮らしができなくなり、私と同居しました。
私は母に対して、納得いかないことをたくさん抱えていながら、母を刺激しないように気をつけていました。
ある時、母に恐る恐る聞いてみました。
「どうして、あんなに怒ってばかりいたの?」
「じゃあ、誰に八つ当たりすれば良かったとね!」
と返ってきました。
私は驚きながらも、何だか心のしこりが少しほぐれたような気がしました。
な〜んだ、私が悪かったからじゃなかったんだ。
私が原因じゃなかったんだ。
そしてある日私がキッチンに立っていると
「あんたはこんな人やったとね。
ちっとも知らんやった。
自分のことで精一杯で、子供のことまで考えられんやった。
あんたの小さい時のことはあんまり覚えとらんとよ。
気がついたら、勝手に大人になっとった。」
…。
この言葉を聞いて、過去のわだかまりがかなり解消されました。
なーんだ‼︎
ここまで聞くと、笑っちゃう。
自分のことで精一杯だっただけなの⁈
二年ほど同居し、母は元気になって五島へ戻り、今は下の兄と暮らしています。
時々電話がありますが、相変わらず母らしい言葉であれこれ報告してきます。
過去は、そんな母に変わって欲しいと思っていましたが、人間そんなに簡単に変わりませんね。
でも、ずいぶんと穏やかになりました。
私と同居を始めた時、天国の祖母が現れて言いました。
「けいこちゃん、お母さんにはいろいろ言わずにホ・オポノポノだけやらせときなさい。」
祖母のアドバイス通り、ホ・オポノポノを唱えることが習慣になるように、ホ・オポノポノの話をしたり私とご先祖さまとのやりとりを話したりしていたら、五島へ戻る頃は朝晩欠かさず唱えるようになりました。
今もその習慣は続いているようです。
きっといろんな記憶がクリーニングされたことでしょう。
過去にも母の弟(叔父)が現れて
「けいちゃん、姉ちゃん(母)ば許してやってくれんね。」
と言われたことがありました。
14日の夜、祖父母の言葉を聞いて、叔父さんの言葉も思い出しました。
私はまだ全部を許してなかったんだろうか…。
じいちゃん、ばあちゃん、ごめんね。
お母さん、本当によく頑張ってきたんだね。
大変だったね。
偉かったね。
そう言いながら、お風呂の中で泣きました。
お風呂から上がって、母に電話してみましたが、なかなか出てくれません。
携帯をどこかへ置いてるのでしょう。
きょう、やっと電話が繋がりました。
お母さん。
お母さん本当によく頑張ってきたんだね。
ありがとうね。
本当にありがとうね。
…。
やっと言えました。
この記事を書いていたら、テレビでカネミ油症事件の番組が放送されていました。
私の生まれた奈留島にもカネミ油症患者は沢山いました。
同級生や先輩、顔見知りのおじさん、おばさん。
母もカネミ油が売られていたことは記憶にあるようですが、たまたま手に取らなかったことで私たちは被害に遭わなかったのですね。
運命なんて紙一重。
当たり前ではない。
そんなことを思いました。
被害にあった同級生とは46年間会っていません。
高校から別々になり、私は社会人になり五島に帰ったけれど、彼女は都会へ出たままです。
お互い孫ができていてもおかしくない年になりました。
元気で幸せに暮らしていたらいいな。
そんなことを思いました。
みたまはえませ
また祈りました。
五月に五島に帰省した時、神社で神様に言われました。
『誰が(やった)ではなく、人が(やった)なのだよ。
人とは、そういうものなのだ。』
誰がではなく人がなのだ
五島から戻って、私は一人でも多くの方に
みたまはえませ
をお伝えしたいと思いました。
けれど今日は、まず自分から。
私から唱え続けよう。
私が祈ろう。
そう思いました。
『誰ひとりどれひとつ漏らすことなく全ての繁栄を願っている』
神様の弥栄の願いです。
神様に
己が光をそれぞれが灯すことを推し進めよ
と言われたのは私です。
弥栄のお手伝いがしたいと神様にお願いしたのも私です。
だからわたし自身が、毎日
みたまはえませ
とさらにさらに祈りを広げようと思いました。
魂栄