たまさかです
昨日、私の病気の寛解祝いとして、兄夫婦にご馳走してもらいました
中洲近辺でしたので、食事の後兄たちと別れて中洲川端辺りを歩きました。
福岡での初めての住まいが写っています。
懐かしい〜
毎日見ていた景色。
ベランダからすぐ下に見えていた「鏡天満宮」「渡唐口跡」
昔、このあたりまで海だったそうで、菅原道真が上陸して鏡に映った自分を見てやつれように嘆いたと言われています。
それで「鏡天満宮」。
そしてここは、遣唐使船の発着所で貿易の拠点だったのです。
日本で最後の寄港地が私の故郷五島でした。
天満宮の横にはホテルオークラ。
福岡でのホ・オポノポノの公式セミナーはここで行われてきました。
KRさんはここでセミナーをされ宿泊されていたんですね。
セミナーには一度も行ったことはないけれど、家から2分の場所だったんですよね。
ホ・オポノポノで人生が大きく好転した私です。
ここに住んだことも運命を感じます。
昨日の中洲の交差点。日曜の夜なので、人が少なかったですね。
10年前の5月15日に佐世保市からこの中洲へ引っ越してきました。
まるで「おのぼりさん」のように、毎日娘と二人で新しい暮らしをわくわくウキウキで楽しんでいましたね〜。
過去の写真が残ってないかとFacebookを遡ってみましたが、結構削除していたので少ししか残っていませんでした。
9年前の博多どんたくの朝。橋の両脇には出店が連なっていますね。
毎朝この景色を見ていました。右奥に博多駅の屋上が見えています。
9年前映画インターステラを観た日の空。キャナルシティで映画を観て家に帰ると虹が見えました。映画と虹で興奮した日の夕景。
ベランダの真ん前のリバレインの屋根。こうやってメンテナンスをしていたのでしょうか?
怖いですね。お疲れ様です。
引っ越す一年前は、まだ長崎県の農村に暮らしていました。
周りは段々畑、みかん畑だらけで街灯もなく、夜になると真っ暗でした。
11年前の6月19日に婚家を出て佐世保に引っ越しました。
娘と二人暮らしになり、夜遅くまで明るい街に感動して泣いた私が、さらに一年後、博多に引っ越せとメッセージを受け取って、二日分の着替えだけ持って博多に引っ越して来たんですよね〜。
懐かしいし、あの頃の私、若かったんだなぁとひしひしと感じます
お話し会を始めると、Yahooブログを読んで下さった方々が、県内外から会いに来てくれましたね〜。
みなさん、ありがとうございました。
私、元気で暮らしていますよ!
10年の間にたくさんの出来事や出会いがありました。
「さなぎが蝶に変わるように、これまでと全くちがう人生が始まる。全てを手放して博多へ行きなさい。」
メッセージのままに誰も知る人のいない博多へ、娘と二人でやってきてちょうど10年。
今年11年目を迎えてすぐに病気も寛解との診断を受けました。
娘も会社の新社屋がこの近くに建って、先月から毎日この景色の中を歩いています。
私も娘も、博多に来る前とは大きく変わりました。
娘は3年前に結婚して30歳になり、私も来月で61歳になります。
味わい深い人生です。
中洲の街と住んでいたマンションに「ありがとう」を言ってきました。
さあ!
今日からまた新たな気持ちで、前に向かって歩きます♪
魂栄