たまさかです
最近記事を書いても、アップできないことが続いていました。
公表できない内容だったのか?
奈留神社に関することや鳴神のことを書いていただけなのに、公開ボタンを押すと記事が消えてしまって更新できずにいました。
それで今日は別のテーマで書いてみようと思います。
私が生まれたのは奈留島の奈留神(浦向)というところです。
生まれてから中学を卒業するまでと、短大を卒業して就職してしばらくしてから1990年(平成2年)の大晦日まで暮らしました。
住民票を移したのは平成3年の2月3日ですが、平成3年の元旦から福江島の母方の祖母の家で約1ヶ月過ごしました。
福岡へ引っ越す前に祖母の家で数日過ごすつもりが、元旦の夜から高熱を出して寝ついてしまいました。
平成2年の11月から、雲仙・普賢岳の噴火が始まり、夜中テレビを付けると普賢岳の画面になっていて、噴火情報がいつでも報道される体制になっていました。
毎晩40度の熱が出て苦しくて、夜中テレビをつけると普賢岳の昼間の噴火の映像が流れていました。
そして1月の中旬を過ぎると、今度は湾岸戦争が始まり、ずっと湾岸戦争の様子が報道されていました。
ますます具合が悪くなりましたね。
原因不明の熱は続き、本当に寝たきりで過ごしたひと月でした。
熱が下がってすぐ奈留島へ戻り、数日後北九州市へ引っ越しました。
見送ってくれたのは、父ひとりでした。
港まで父の運転で送ってもらいましたが、私が船に乗るのを見届けた父は振り返ることなく帰って行きました。
なぜか、心の中で
お父さん、ごめんなさい。
と言っていたのを、今思い出しました。
私は2歳から、ひとりで祖母の家に預けられることが多かったのですが、何故かよく熱を出していました。
祖母がおんぶして川のほとりの水神様に連れて行くと、熱が下がっていたそうです。
その祖母が脳梗塞で倒れたのは、平成7年の11月のこと。
その年の大晦日に娘を連れて、祖母のお見舞いがてら奈留島に帰省しました。
祖母は入院したままでした。
その夜(大晦日)ゆく年くる年の除夜の鐘を聞いていたら、急に私の口から結婚生活の辛さや苦しさが溢れ出ました。
それまでは、いつも幸せだと言って、結婚の実情はひた隠しにしていたのに、何故か突然止めどなく溢れ出してしまいました。
すると同時に横で寝ていた娘の顔に、赤い発疹が出てきました。
身体中に広がり、翌朝病院に連れていきましたが原因がわからず、福江島の総合病院でみてもらいました。
溶連菌感染症と診断され、1ヶ月は安静で福岡には戻らない方がいいと診断されたのです。
重い症状なのに何故か入院はしませんでした。
娘は顔がパンパンに腫れ上がり、瞼や唇は二倍以上になりました。
別人のようになって、ご飯も食べれない。
今振り返ってもどうやって乗り越えられたのか、不思議でなりません。
私は、あまりに続く高熱から、聴力など後遺症が出るのではないか、命は大丈夫なのかと心配で泣いていました。
その最中に、あるお寺にご縁が繋がったのでした。
電話で話しただけでしたが、お坊さんには
「あなたが離婚を考えたから、娘さんがそうなった。」
と言われました。
(そうではないと思いますが、全ては今に繋がる流れだったのでしょう。)
1月20日を過ぎると、急に熱が下がってきて食事も摂れるようになりました。
娘はかなり痩せて、顔色も青白くなっていましたね。
医師から北九州に戻っても良いと言われたのが、1月の終わり。
夫からは早く戻るようにと、連日催促の電話がかかって来ました。
「北九州に帰ります」とお寺に連絡を入れると、戻る時にお寺に寄るように言われました。
そして言われた通り、お寺に立ち寄るのですが、それから約3年間様々な霊体験をするようになるのでした。
普賢岳の噴火の日の5年後祖母が脳梗塞で倒れ、私が祖母の家で高熱でひと月寝込んだ5年後の同じ日から娘も発病し、私と同じく体調が落ち着くまで一ヶ月かかりました。
そして私が五島を離れ北九州市に引っ越した日のちょうど五年後、娘を連れて帰省していた五島から北九州市へ戻るのです。
これは単なる偶然なのでしょうか?
今回三十年ぶりに奈留島に泊まりがけで帰省しました。
そして三十数年ぶりに産土神の奈留神社へお参りをして、
「富士に意識を向けよ」
と言われました。
なぜ奈留島に木花開耶姫が祭られているのか調べると、鹿児島から対馬海流に乗って流れ着いたのが鳴神鼻だったとのこと。
単なる神話、伝説だけれど、鹿児島というと桜島が浮かびました。
桜島から霧島、阿蘇、普賢岳、、、そして富士。
今日はなぜか、TikTokを開いたら、御嶽山の噴火の様子が流れていました。
娘の溶連菌感染症。
最近の溶連菌感染症の流行。
私の高熱も娘の溶連菌感染症の発病も元旦。
私の高熱も娘の高熱も、その後私の人生を見えない世界へと強く導いて行きました。
今年の元旦には石川県の地震。
地震の時、「始まった」と感じたのは、何故だったのか?
奈留神社で産土神の木花開耶姫からメッセージを受け取り、その夜「艮の金神」が憑依してひっくり返ると言ったのはどういうことなのか?
まだまだはっきりしないので、ある魂に問いかけてみようと繋がったら、自分の内から思い出せと厳しくお叱りを受けました。
これからどうなるのか。
私は何をするのか。
そんなことを、ふと考えました。
魂栄