たまさかです
私の生まれ故郷は、五島列島の真ん中の島奈留島です。
現在の奈留島は人口もかなり減少し、基幹産業である漁業も魚自体が漁れないこともあり、人間だけでなく漁船も激減しています。
昨今五島観光が人気になる中、
「奈留島には何にもない」
というのが一般的な評価ではないでしょうか。
家のリビングからの眺め。
手前はドックのレールです。
真ん中に見える丸い山は「権現山」と言います。
昔はここだけに生えている珍しい亜熱帯の植物があり、昔は国天然記念物に指定されていました。
有名になり島外からの侵入者が勝手に伐採されることもあったようです。
人の欲とは何なのでしょう。
私の実家(中学時代・二十代)に暮らした家からの眺めです。
生家もすぐ横にありましたが、海岸道路を通すために取り壊されました。
毎日この景色を見て育ちました。
東向きであり、祖母は上る朝日に手を合わせていました。
昔は岸壁に何重にも漁船が停泊していましたが、今はほとんど見当たりません。
黄色い「海上タクシー」が見えていますね。
兄ふたりが中学生の頃、夕方父と三人で対岸にある桟橋まで泳いで競争していたのを思い出します。
父も若かったなぁ
今は何にもない魅力的でないと言われる奈留島ですが、私の子供の頃はとても豊かな美しい島でした。
潮が引くとおばさんたちが牡蠣打ちや潮干狩り、浜辺では地引網で魚が飛び跳ねていました。
近所には「いりこ」製造工場があり、福江島から若い娘さんが出稼ぎに来ていました。
島の形はヤツデの形にたとえられるリアス式海岸でしたが、年々海岸道路が島を縁取るようになり、埋め立てやフェリー就航のための掘削などで美しい海は変わっていきました。
色とりどりの海の底まで見えていて、子供ながらに海を見て過ごすのが大好きでした。
私の実家は造船所で、家のすぐ横は海。
昔の工場は一部がやぐらになっていて、満潮時はやぐらの隙間からキラキラ泳ぐ大量の鯵やイワシ、潮が引くと色とりどりのウミウシやヒトデ、カニなど海の生き物がいつでも見れました。
リアス式の湾の中は海の恵みの宝庫で、夜になると他の島の小漁師船団がやって来てはキビナゴを獲って、あっという間に去って行くのを見ていました。
まるでギャングのようでした。
朝になると、漁業組合の競市の放送が流れ、そのアナウンスを聞くたびに楽しくワクワクしたものです。
波の音で目覚め、波の音で眠りにつく。
窓を開けるとすぐ横は海という立地だからこその暮らしでした。
今回30年ぶりに泊まりがけで帰省しましたが、あまりの静かさに驚きましたが、船や人、車が少なくなったからこそ空気や海が透き通っている感じがしました。
家から見る海はまるで湖のように綺麗で穏やかでした。
長くなりましたね。
愛するふるさと奈留島のこと、もう少し書いてみたいと思います。
②に続きます。
魂栄
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