夜中ぐっすり眠っていたのに、眠たくてたまらないのに目が覚めました。


心底「眠〜い〜。」と、そのまま目を閉じました。



けれど胸の辺りが、「ふつふつ」してるのを感じました。


怒りの「ふつふつ」ではなく、心の「ふるふる」に近いような。


伝わりますでしょうか?


だんだん目尻から涙が滲み出てきました。


「あれ?」


「これは寝ている場合ではないぞ!」


「だれ? 誰ですか?」


尋ねてみたけれど、どうも特定の誰かでも無さそうです。


いったい、この心に響いてくるものはなんなのだろう。


目を閉じたまま心の振動みたいなものを感じでいました。


振動から感じたのは「母」というワードでした。


それは実際の私を産んでくれた母の事ではなく、


母という存在


母になるということ


母になりたいという想い


母になれないという想い


母でありたくないという想い


母として認めてほしいという想い



様々な言葉が胸の奥から響いてきました。




もうこうなると寝ている場合ではなくて、ベッドから起きてリビングに行きました。


頭の中に「ある光景」が浮かびました。


それは小学3年生の私、夏休み最後の日に耳に異常を感じました。


毎日のように海で泳いでいたけれどそれが関係あるのか耳から汁が出てきました。


中耳炎だったようです。


翌朝、二学期の始業式を休むことにルンルンしながら、一人で旅客船に乗り福江島の五島中央病院に行きました。


私の島には耳鼻科はありませんでしたし、母は最初からついてくるとは言いませんでした。


私も母と行動するのは息が詰まるので、伸び伸びした気持ちで出かけました。


耳鼻科で順番を待っていると、隣に赤ちゃんを抱いた若いお母さんがいました。


待ち時間は長く、しばらくすると若いお母さんから


「トイレに行ってくるから、赤ちゃんを見ててちょうだい。」


と言われました。


私は嬉しくて、水色のベビー服の赤ちゃんを責任もってしっかりと見守りました。


多分3ヶ月にもなってない、けれど生まれたばかりでもない、それくらいの男の赤ちゃん。


瞳がうるうるしてて可愛いな❣️


そしてお顔が時々見かけるお兄さんに似てる。


そう思いました。


子どもでしたからね。



お母さんと赤ちゃんの順番が来て、私も診察室の前で座っていると、ついたてのむこうから先生の声が聞こえました。


耳だけでなく目や心臓など、他の「科」でも診てもらいなさいと言った後に、小さな声で何か話してるようでした。


その時、お母さんが絶叫にも似た大きな声で泣き出しました。


小学3年生の私は、子供が病気なんだなぁ。お母さん悲しいのね。と胸が締め付けられました。


50年以上前のことなのに、ありありと浮かびました。


お顔の雰囲気を思い出すと、多分ダウン症だったのだと思います。


そしてそのお母さんは、診察を受ける前からそのことに気付いていたのだと思います。


いま思い出しても、胸が締め付けられます。


他にも私自身が10年前に体験した「母の日」のことを思い出しました。


多分一生で一番泣いた日。号泣した日。


その時は私の娘との間ではなく婚家の義理の息子たちとの関わりでしたが、振り返ればあんなに胸が張り裂けるほど泣くことでもなかったはず…。


「母というもの」に関するいろんなことが頭の中でうごめいています。


望んで母になる人、望まなくとも母になってしまう人、産みたいという人、恵まれないという人、生まれた赤ちゃんを愛せない人、愛さなくてはと苦しむ人、母とはこうあるべきと思う人、母親失格と思う人、母なのに…と思う人、子供を手放さなくてはならないと思う人、育てさせてくださいと思う人、会いたいと思う人、もう見たくも関わりたくもないと思う人、子供の幸せを願う人、子供の未来を不安に思う人…。


まだまだ限りなく「母の心」が浮かんできます。


嘆きも苦しみも歓びも悲しみも孤独も罪悪感も後悔も…限りなく感情が迫ってきます。


「母」とはなんだろう。


生命に限らず生んでも生まなくても…。


肉体的な女性だけでなく精神が女性の人全て、そしていま命ある方もそうでない魂も全ての想いが癒され浄化され昇華されていくならば………。



どんな高名な僧侶でもスピリチュアリストでも、精神の専門家でも研究者でも、これは女性の心を持っていなければ「感じる」ことはできないのではなかろうか。


女性の心を持って生まれたひとたちに出来ること、「母」という想いをクリアにしていくこと。


亡くなった魂は生きている私たちの想いや行動をいつも見ています。


そしてそれを見て、自分の「想いのしこり」をとかしていきます。


しこりはやがて素粒子のような小さな無数の光となって、そして「すべて」とひとつになります。


私たち女性にしかできないこと。


母、女性、これをそれぞれが癒してクリアにしていくならば…。


『じゅんかん』は……。





この記事を読まれた方にお願いがあります。


たった一つでも良いし誰かに対する想いでも良いです。


「〇〇さん」でも良いし、ただ単に「母」という言葉そのものでも良いです。


一緒にクリアリングをしていただけないでしょうか?


簡単です。


「〇〇さん」ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています


「母ってなんだろう」ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています


決まりはありません。


頭に浮かんだ人や、もの、想い、なんでも良いのです。


対象「  」の後に、クリーニングの言葉を言うだけです。


意味など考えなくて良いのです。


これをやっていただけたら、全ての母性、女性性の癒しが始まると思うのです。



私たちは究極にはひとつ、繋がっているのですから、私やあなたの


「なんか分からんけど、ただやってみる」


が必ずエネルギーとなって動きゆらぎが起こります。


やってもいいかなと思われたら、ぜひ一緒にクリーニングしましょう。



もちろんテーマは限りなくありますから、男性の方もそれぞれの頭に浮かんだことをクリーニングしてくださいね。




あー、ここまで書いてやっと眠くなりました。



もう一度寝ます。



おやすみなさい。



魂栄