たまさかです
「寿命」と言う言葉がありますね〜。
若い頃は寿命なんて考えもしませんでしたね。
けれど還暦近くまで生きていると、寿命という言葉を意識する瞬間がこれまで何度かありました。
それは自分の寿命ではなく、人との出会いや体験、人様の生き様から勝手に湧き出るように感じる漠然としたものでした。
数年前にちょっとだけネットワークビジネスをやったことがあります。
ビジネスはほんのちょっと。
ビジネスをやったと言うより、ある製品を知って、それを愛用している方々の体験や変化を見せてもらったという感じです。
ビジネスをやるなら、スピリチュアルをやめないといけないと言われて、すぐにビジネスをやめて愛用者になりました。
生活消耗品や健康食品を扱う会社でした。
私に伝えてくれたのは、今でも尊敬してやまない友人「審神者ちゃん」でした。
彼女にたくさんの方を紹介してもらいました。
その中に食事で病を治すことを指導している方がおられました。
その方のサロンに行くと、いろんな相談者の方が来られます。
また食事やサプリの摂り方によって、重い病や精神的な不調和を改善された方のお話もたくさん聞くことができました。
ありがたい体験です。
そのサロンに通ったのは2年弱でしたが、貴重なお話しをたくさん聞くことができました。
寿命に関して考えた印象的なお話がありました。
ある少女がいました。
彼女は脳腫瘍でした。
命の期限も言い渡されて、ご両親は大変嘆き悲しんでおられましたが、サプリと食事の療法にたどり着きました。
サロンのオーナーさんの指示に従い、数ヶ月間食事療法に取り組んだところ、病を克服されました。
家族も指導した方もみんなが良かった良かったと大喜びしました。
本人である少女ももちろん、命が助けられたことに感謝して幸せいっぱいで過ごしていました。
周りの友人たちと同じように日常を生き生きと楽しく過ごしていました。
それなのに、ある日自転車で出かける途中、側溝に落ちて頭部を打撲して亡くなられました。
亡くなったのは、病院で言い渡されていた命の期限と殆ど同じ時期だったとお聞きしました。
死因も脳腫瘍ではなかったものの、頭部外傷でした。
そのお話を聞いた時、寿命だったのだなぁと漠然と感じたのです。
では、この食事療法は無駄だったのでしょうか?
無駄ではありませんよね。
脳腫瘍で手術や治療で入退院を繰り返す毎日から、周りの同世代の皆さんと同じように、学校へ通ったり遊んだり楽しい時間が増えました。
気持ちの良い朝、元気に外へ出かけて、一瞬のハンドル操作で最期の瞬間を迎えました。
この話を聞いて、誰でも命の限りがあって、3次元的時間の猶予は決まっているかもしれないと感じました。
けれど、残された時間の「質」は変わったのだろうなと。
友人の審神者ちゃんと初めて出会った時、彼女は乳がんトリプルネガティヴで命の期限が刻々と近づいていました。
そして私にこう言いました。
「がんは優しい病気だよ。
心の準備ができるから。」と。
彼女は標準治療を拒否して、口から摂る食事や皮膚から吸収する経皮毒の勉強をし、徹底的に管理をしていました。
それと同時に、自分が亡くなってからの子供たちの金銭的な部分の準備も怠りませんでした。
命の期限を越した時、一緒に過ごしていましたが、涙を流して喜んでいた彼女の姿を思い出します。
不思議なことに、私が事故で入院したのが彼女の故郷で、私の事故の後すぐに彼女も福岡のホスピスに入りました。
私がある程度回復した頃から、LINEでのやり取りが始まりました。
お互い励まし合って、気づきを分かち合ったりしました。
「私はこの痛みと死ぬまで付き合っていかなければならないけど、おけいちゃんは必ずよくなるよ。
たまさかちゃんが「まさか‼︎」ってことになるよ。」
ダジャレが好きな彼女でした(^。^)。
彼女は、私が退院した翌月に亡くなりました。
一度もお見舞いに行けませんでしたが、お見舞いに行かれた方々が、のちに私のセッションを受けてくださって彼女の最期の様子を聞くことができました。
どんなに素晴らしい人でも、どんなに若くても幼くても、誰でも必ず寿命という「この世の期限」があるのでしょうね。
限りある時間、どう過ごしますか?
気持ちよく楽しく過ごしたいですよね。
どんな1日も1日、それなら笑って過ごそうよ!
と誰かが言ってましたが、そうですよね。
同感です。
小さなことを大事(おおごと)にせず、さらさらと澱ませることなく
流れのままに生きたい。
そう思います。
命の期限は誰にも分からない。
肉体的なこと物質的な事は予測できるかもしれないけれど…。
誰にも分からないことをあれこれ不安に思うより、
さあ!今!
気持ちよく心地よくご機嫌でいたいですね〜。
魂栄