日本ではもう、大人気監督となったアリ・アスターの3作目の作品です。

今回は3時間のコメディーという事で、案の定興行的には大苦戦。

どうにか日本ではヒットして欲しいと、実に多くのプロモーション活動を行っています。

涙ぐましいほどの奔走ぶり。

しかしまあ・・・

ヒットするような映画じゃないのは、観る前から分かっていました。

 

難解、意味不明、気持ち悪い・・・。

予想どおりの感想が見られます。

とにかく観ないわけにはいかないので、覚悟を決めて観たわけですが。

個人的にはそれほど難解な内容とは感じませんでした。

 

長いのは確かに辛かったです。

面白いか?と問われると、面白い部分と退屈な部分があるので、何とも言えません。

ただ、彼の中では間違いなくもっとも自分自身をさらけだした、相変わらず歪んではいるものの、非常に誠実な作品だと思いました。

 

過去の、たった2つの映画「ヘレディタリー」「ミッドサマー」で有名監督となった彼ですが、映画に詳しい人からすると、本作は一番ありきたりの内容だと感じるかもしれません。

自分自身の内面を描いた不条理な内容の映画というのはこれまでも多くの監督が作っているものだし、様々な名作のパロディーやオマージュが多いため、むしろ監督の「種明かし的映画」としての側面が強いのです。

さらに、パンフレットでは過去の2作と本作で3部作の様になっているとも語っています。

つまり、過去の2作の理解をより深める内容にもなっているのです。

 

この作品は、おおまかに4つの章に分かれています。

1つ目は、自分のアパートを舞台にした、スラップスティックな分かりやすいコメディーパート。

2つ目は、他人の家庭を舞台にした、アリ・アスターらしい意地悪なブラック・コメディーパート。

3つ目は、「オオカミの家」を作ったスタッフによるアニメーションが中心となる幻想パート(もちろんオチあり)。

そして、4つ目が目的地である母親の家を舞台にした、ラストパート。

 

映画が進むごとにより主人公の内面に深く潜っていく事になります。

分かりやすい笑いはどんどん減っていくため、コメディーであることを忘れてしまいがちですが、フリが長いだけなので、真面目に観ていると呆気にとられます。

3つ目のパートなんか、1つのオチのためのフリを延々と見せられるので、かなりキツいものがあります。

4つ目では一転して怒涛の展開を見せ、とんでもない怪獣も登場するので、油断してはいけません。

 

基本的には、主人公の恐れている事が次々と起こる様を笑っちゃおう、という趣向のコメディー作品です。

主人公は明らかに監督の分身です。

いつも何かにビクビクしている自分をみんなに笑ってもらうという自虐的な内容ですが、この気持ちは分かります。

 

自分に起きた悲惨な出来事を、面白おかしく話してみんなに笑ってもらう事で救われた気分になるというのは、誰にでもあるのではないでしょうか。

自分の中にずっとわだかまっていたものを、外に出してみんなで眺めてみる。

なんだ、こんな事だったのか。

くだらない!

しかも、映画のネタになるのなら、辛かった事も無駄にならないじゃないか。

そんなスタートだったのではないでしょうか。

 

実際はこの映画、デビュー作として考えられていたそうですが、当然これでは出資してもらえません。

そこでジャンル映画としてもっと特化した映画を作り、今回ようやくやりたい事が出来たというわけです。

構想期間が長い分、徹底的に計算しつくされた内容なのは間違いありません。

どれだけ観ている側が、ワケが分からないとしても・・・。

 

※以下、内容に触れていますのでご注意ください。

 

全体的な構成はこれまで同様です。

序盤で悲劇が起きる。

主人公はそのことで大きな罪悪感を持つ。

そこからどんどん現実は非現実の世界へと向かい、最終的に物語としては悲劇のままであっても、主人公の罪悪感は消えている。

すべては、あらかじめ他人(悪魔や神や母親)が仕組んでいた事だから・・・。

 

これまでの映画の内容から意地の悪い監督だとは思っていましたが、本作を観るとむしろ常に最悪の事を考えてしまい、それによって恐れてばかりいる気の毒な人なのだと思いました。

しかも、それらがすべて自分に責任があると思い込んでしまう。

だから、そうではなかった、全部誰かの陰謀だったと判明するのは「救い」なのです。

過去2作も、あれでハッピーエンドだったのです。

 

すべてがボー(監督)からの視点のため、登場人物についても主人公からはこのように見えている、というものなので、真実がどうかはそもそも描かれていません。

全ての人間が恐ろしい。

自分を攻撃している。

こういう被害妄想的なものは、ある程度誰にでもあるものでしょう。

 

数少ない幸せなドラマは、すべて妄想。

どうです、馬鹿みたいでしょう?

どうぞ笑ってください。

まさに自虐極まれり、です。

 

終盤の母親との対面は、確かにクライマックスです。

母親への愛情と憎しみ。

これがすべての原点だと言わんばかりです。

彼女の支配という恐怖。

彼女から嫌われているという恐怖。

そして、彼女がいなくなってしまう恐怖。

 

ここで登場するいくつかのエピソードは、監督の実体験なのではないでしょうか。

そう思ってしまうほど、終盤はまるで監督の独白であり、公開裁判の様に見えます。

罪深い自分を断罪して欲しい。

それが一番の願いだったように。

映画の中でボーは成長せずに爆発してしまいましたが、これを作った監督は一つの区切りとなったのではないでしょうか。

 

それにしても、この映画を監督は自分の母親に見せたそうですが、なかなか凄い話ですね・・・。

裸になるより恥ずかしい内容でしょう。

宮崎駿監督が「君たちはどう生きるか」でやろうとして結局出来なかった事を、3作目でやってしまった感があります。

しかも、ベストな出来だと大満足しているのです。

あとはヒットすれば大成功だったのですが・・・

 

今後どのような映画を作るのかは想像できません。

次からは別のものになる、と監督は語っていますが、どうでしょう。

いずれにしても「また酷い映画作ったね!」と笑顔で歓迎したいと思います。