「最後の夏休みを再生する」

ポスターに書かれた文章ですが、非常に味わい深い言葉です。

観終わった後には、もうこれに尽きると思いましたね。

 

公開された当時、もの凄く絶賛する感想と、困惑する感想が入り乱れました。

今年のベスト、いや生涯のベスト!

退屈で寝た。ただのホームビデオの垂れ流し。

なるほど、A24映画の平常運転です。

でも、妙に気になってしまったので、今回ようやく観てみました。

 

なるほど。

101分の映画ですが、202分の映画だと思ってください。

つまり、2回観る事が必須です。

1回では絶対に理解できない様に作られています。

これは嫌がらせではなく、そうさせること自体が目的と言っても良い作りだからです。

 

1回目も、個人的には退屈ではありませんでした。

なにしろ、映像が美しく、トリッキー。

音楽も素晴らしい。

役者も素晴らしく、観ている間は本当にホームビデオを観ているような実在感があります。

 

ただ、何も起きません。

何かが起きそう!→いや、別に。

不穏になりそうで、平穏に過ぎていく父娘のリゾートでのバカンス。

そしてラストが訪れます。

 

ハァ?

これで終わり?

一体何。

これは何だったんだ!

という、怒涛の困惑が押し寄せまず。

これがA24映画の醍醐味だ!

 

 

しかし、もう一回最初の部分を観てみるか・・・。

ああ、そういう事だったのか!

そういえばこんなシーンもあったな!

という、「気付き」がいくつもあるのです。

劇中で流れる音楽の歌詞も非常に重要です。

ちょっとネットで意味を調べるか・・・。

 

 

やられました。

結局丸々もう一度、観る結果となったのです。

大丈夫、2回で十分ですよ。

2回でも分からないところはたくさんあると思いますが、それは分からないように作ってあるので、十分なのです。

 

以下、少し内容に触れていきます。

この映画、あらすじに「主人公が、20年前に父親と過ごしたバカンスのビデオを観て、記憶をよみがえらす」となっています。

しかし、この情報はもう、重大なネタバレです。

だって、現在の主人公の姿って、ほとんど一瞬しか登場しないのです。

たった一文ですが、この映画ではこれすら分からない様に作られています。

最後まで観ると、まあそういう映画だったのかなと分かる程度です。

 

2回目に観ると、1回目とは違って色々分かるようになります。

ああ、ここでも主人公の現在の姿があるのか、等。

そして、過去の映像を観て主人公が回想する映画だと思っていたけど、違うな、と気付きます。

だって、当時の彼女が見ていないはずのシーンがたくさんあるからです。

それはすべて父親の、どこか暗い姿です。

 

「最後の夏休みを再生する」

そう、これはあくまで、現在の主人公が再生した記憶なのです。

当時の彼女が知るはずもなかった父親の姿。

知るはずも無かったわけだから、すべて想像なのです。

なぜ、そんな想像が生まれるのか。

それは、この映画で描かれたバカンスの後に起こった出来事によって、父親の姿が「上書き」されてしまったからなのでしょう。

 

何があったのかは一切描かれません。

しかし、多くの人は同じ事を想起するのではないでしょうか。

そういう風に作ってあるからです。

何度も何度も、この映画の中で父親はそんな姿を見せます。

実際は何も無かった(かもしれない)のに・・・。

 

後から知った事実により、過去の記憶が改竄されてしまう。

その行為自体を、観た人間にも追体験させたかったのでしょうか?

だからこんな作りになっているのではないか、と思ったのです。

1回目で見過ごしていた何気ない映像や意味不明な演出が、2回目では大きな意味を持つ様に。

 

監督は実際、父親を失う体験をしているのだそうです。

おそらくそのトラウマを癒すために、映画は作られたのでしょう。

アフターサンとは、日焼け後に塗るローションを意味します。

監督にとっての「アフターサン」がこの映画という事なのでしょうか。

きらめくダンスフロアーへと戻る父親を見送るために。

 

 

きっとこの映画には、監督にしか分からない意味を持ったシーンもたくさんあるのでしょう。

なんで分からない、伝わらない部分をあえて含むのでしょうか。

見当違いの解釈を産む可能性もあるのです。

 

とてもパーソナルな映画ですから、勝手にすべて理解されたくないという気持ちもあるのではないでしょうか?

そう考えると、妙に納得してしまいました。