この記事、とても共感しました。
だとしたら私は、もっともっと手放せる人間になりたい。
服やモノだけじゃない。名誉も賞賛もあらゆるものを。自分を苦しめることになる「こうしなければいけない」とか、「こうあるべき」という思考も。そして信念すらも手放せる私になろうと、固く誓った。
最後のこの部分に「そうなんだよ!」と思わず頷いたほど。
「こうあるべき」なんて誰が決めたんでしょう?それは自分のこだわりだけで、誰かから強要されているわけじゃないのに。
高齢者となっての「こうあるべき」思考は自分だけでなく、周りをも苦しめます。
元気なうちは働く、というスタンスを否定はしませんが、それが度が過ぎてしまうと
「働くことこそが自分のアイデンティティ」
になってしまう危険をはらんでいます。
働かなければ自分を見失ってしまうのですね。
この記事のお父さんが正にそれです。
輸血なしに生きていけない状況になっても何一つ手放そうとしない(仕事やボランティア)お父さんに苛立っていた筆者。
「とっとと全部の仕事を辞めぇや!」と私が言えば、「ボランティアって元気な人がするもんよ! お父さんみたいに死にかけている人間がやることじゃないじゃろ!」と姉。
働くことは美徳であるということが刷り込まれ過ぎている世代のお父さん。
平均寿命が延びている今。
なんと!
私が生まれた時代の平均寿命は
67.75歳って!
「お前は既に死んでいる」
って、思わず北斗の拳のケンシロウのセリフが出てしまいました。
(お前というのは私のこと)
20歳以上平均寿命が延びたんですから、当然老後が長くなったわけですね。
仕事をリタイアしてからも長いわけで、その長い老後を「こうあるべき」にとらわれて人生を終えるのは悲しすぎるんです。
欲にとらわれていることは良くないこと。
という考えは比較的年を重ねた高齢者は抱いていることだと思います。
けれど、働くことは良いこと。
という「働き者」美学からは解き放されていないことを感じています。
今、若い人たちを中心に「FIRE」ムーブメントが起きています。